近代以前のスポーツは暴力的性格を持つものが多く、禁止されるものが多かった。


しかし18世紀から19世紀にかけイギリスに起こった産業革命を契機として、産業資本家{中産階級、


ブルジョアジー}が力を持ち、彼らを正当化する人間をつくるため、その人格を形成する手段として、


教育にスポーツを取り入れた。


そこには暴力的なスポーツを、だからこそ非暴力的な行為に転換させる逆転の発想があった。


ルールがその重要な役割をはたすわけだが、そう考えると審判の役割も大きいと思える。


しかし、勝敗の結果のみにこだわるトップアスリートによってスポーツは禁止された頃の暴力の姿に戻る


危険がある。


市場経済においても現代は非常に暴力的であるが、スポーツを非暴力的な行為に転換させる発想を


無駄にする教育が行われてきたということじゃないかと思う。


現代の市場の姿では産業資本家に到底正当性など認められないと考えるのは俺だけだろうか?。