記録しておこうと思い、
書きました。

ご免なさい、
読みづらい と思います。



2019-4-5(金)
(葬儀、骨上げ、初七日を昨日 済ませた)
いつもの日常が今日から始まった。

仕事を終え、
明日は 休日。

遅く起きても 良いのだから
嬉しい。


布団に入り 眼をつむる。

先に寝てた旦那が 
スヤスヤと 寝息をたて始めた。


私も
疲れているから 眠りたい。

だけど、、、

心臓の鼓動が  速くなってる、(気がする…)
心臓の音が 大きくなってる、(気がする…)


涙が  溢れてきた。


眼をぎゅっとつむって
こらえてみた。


頭が  熱くなってきた。


鼻水が   かみたい  と思い、
ムクッと  上体を起こした。


同時に
せきを切ったように 
おいおいと  号泣してしまう。


止まらない、、、
止められない。


号泣しながら

口から勝手に
言葉が 出る。


「寂しいよぉ~…寂しいよぉ~…寂しいよぉ~…
寂しいよぉ~…   寂しいよぉ~…
(寂しいよぉ~…のエンドレス…)」  


寂しいよぉ~…と 寂しいよぉ~…の間に
鼻をかむ。


かんでも かんでも かんでも…
きりがない。


そのうちに


息の仕方が  分からなくなる。


今、
息を  吸ってるのか?


タイミング的に
今は、
息を  吐くときか?


あれ?
呼吸の仕方が 分からない。



だんだんと
 
お腹が 
気持ち悪くなる。


「寂しいよぉ~…寂しいよぉ~…
気持ち悪いよぉ~…オエッ」


オエッ て 空のゲップ? 
が 出た。



そしたら、
途端に 落ち着いた    (* ̄∇ ̄*)


(たぶん
旦那が オロオロしながら 大丈夫かっ?
って 言ってた…気がする)



あ~ そっか、
これが
  ″寂しい″ って 感情なんだなぁ…


って 気づいた。



無意識に
″寂しいよぉ~″   を 連呼してた……




計算高いはずの   パリなのに、
勝手に 口から
「寂しいよぉ~…」とは、、、


はじめての 経験だった。


…………………………
 

今回の記事の本題。

忘れぬうちに 
書き記します→





2019-3-30(土)
父、
救急車で運ばれ、
準ICU室に入院。




2019-3-31(日)
AM10時
一人で 父に会いに行きました。
父はまだ準ICU室にいました。


特殊なマスクをしないと 部屋に入れない
とのこと。
もうすぐ一般病棟の個室に  移動するとのこと。


移動してる間に
売店で 特殊なマスクを買いました。

300円




一般病棟の個室に 会いに行きました。


パリ
「お父さん、わかる?」


父、
たまに 眼を開ける。


喋るなんて  出来なさそう。


看護師さんから
酸素チューブや 尿の管も しています。
やむを得ず ミトンを する場合も有ります。
了承して下さい。

口から食べる事は ここは急性期病院ですので、
一切禁止です。
了承して下さい。

との説明を受けました。


はい、勿論です。 と答えました。




パリ
「お父さん、
ここは病院だよ、わかるぅ?

お父さんの体は 闘っとるんだね、
きっと 大丈夫だでね、

任せようね」 


父、喋りはしないが
目付きは しっかりしていたから

わかってたと 思う。



お昼12時前に 帰った🚗





昼過ぎに
長姉が 
父の所へ行ったらしい。

良く寝てた とのこと。



夕方4時頃、
次姉が 父の所へ行ったらしい。



元気になってた。
腕の上げ下げ運動、
脚も 動かしてたよ。

とのこと。





2019-3-31(月)
(亡くなる前日)

昨日の次姉の 話だと 
元気になってた らしいし、


私を見ると、
「パリ!水 くれ!」
って言うだろうなぁ、


嫌だな、困るな、
と思ったので 


仕事も 残業だったから 、体がえらいし…
と 自分に言い訳を して…

会いに 行きませんでした。



次姉が LINEで教えてくれた。

″夕方に 
父に会いに行ったよ、

水、水、うるさかった。
私の名前を 大声で 叫ぶし、

叫ばなきゃ かわいいのにね″

って(笑)


字も書いたらしい。

写メを送ってもらった→




父は
どうしても 次姉に 
仕事の事で 言いたい事があったらしく、
紙に書いたのだそうです。


結局、
読めないから
口で 言ったらしい    (* ̄∇ ̄*)



父は、
喋るし、字も書ける。

この事から、
私たちは
″お父さんは 回復している!″
そう 確信し始めたのです。


なので、
ブログに あげました。



その後。


2019-4-2(火)
(亡くなった日)

今日は   仕事を終えたら 
父に会いに行こうと 思ってました。


しかし、
残業することに なった(>_<)


なんとか 頑張って  早く終えて
18時頃には 出られそう。


バタバタと支度をしてる間に
姉たちや 兄、姪っ子からの着信があった。


姪っ子の着信に気付いて
かけ直す。

内心、
あ~ 
お父さんは もう 逝っちゃったんだなぁ。

と わかった。


17時30分頃。
次姉が居るとき  だったらしい。


長姉も兄も姪っ子も 
間に合わなかった  とのこと。




次姉の話では、

病室に着いたら
既に 
医師や看護師が 尽くして下さってた 
とのこと。



昨日は 
喋れて 書けて  と
回復している と 思えてたのにね。



私と旦那は
18時30分頃 
病室に着いた。

父は、
とっても 穏やかな顔   でした。

「お父さん、
来たよ、、、

頑張ったね、えらかったね、

もう  えらくないよね、


お母さんが   やっと
迎えに来たんだよね、
良かったね、

今まで、
頑張ってくれて 
ありがとうね、

お疲れ様」


右手を握ったら
 温かかった。


わたしは、
涙は 出なかった。

父の穏やかな顔を見て、
心から 
ホッと していました。

 

療養型施設にも 行かなくて良いんだ、
本当の寝たきり生活に 
ならなくて 良いんだ、

気力も 
いま以上に 無くならなくて 良いんだ、


って 思えたから。




PM6時40分頃
次姉の息子が 来てくれた。
(父にとっての内孫。待望の男の子で、
名前も 父がつけた)

「じっちゃん
痩せたね…」 
って 言った。





PM7時頃
私の息子が 来てくれた。

PM7時30頃
私の娘が 来てくれた。