母の従兄弟ですが | 瀬戸際おじさんの徒然日記

私と同い年、名前は輝彦ちゃん、私と同じく姉二人の末っ子、お姉さんからも、近くの人からも 

「ぼく」 と呼ばれ、大事に大事に育てられました。


実は、彼が生まれるまでに二人の男の子が生まれましたが、年寿を保つことが出来ませんでした。


彼が生まれてすぐ、近くの家の門先に捨てられ、そこの主に拾い上げてもらいました。


昔から子供を捨てて拾い上げてもらうと、健康に育つと言う謂れがあり、両親が一縷の望みをかけて、生まれてすぐの我子を、近くの家の門先に捨てて、拾い上げてもらった心中を察します。


豊臣秀吉に実子がいましたが、健康に育つために名前を捨と名づけましたが、年寿を保つことが出来ませんでした。


その後に生まれた男の子に一縷の望みをかけて拾と名づけたのが秀頼です。


その後の輝彦ちゃんは、私と同じく今年3月末で公務員を定年退職し、私の畑で野菜作りに汗を流しています。


彼は結婚が遅かったため、子供さんがやっと小学校6年生になりました。


彼の従兄弟の一番の年長者は明治43年生~昭和20年死亡ですから、彼に小学校6年生の子供、ちょっと信じることが出来ませんが本当です。


その彼が、自治会の最大の行事、10月の秋祭りに参加する子供の父兄代表になりました。


心強い?同級生達で彼をバックアップしていきます。


特に、母の従兄弟ですので他人事ではありません