色あせた絹のスカーフの思い出 | 瀬戸際おじさんの徒然日記

高校生の頃、明治35年2月に5女として分家で生まれて、本家に嫁いだ祖母の古い桐ダンスから、その母(私の曾祖母)に買ってもらったという 夏の着物と一緒に防空頭巾を取り出し、私に戦争の悲惨さを教えてくれました。


その時に色あせた絹のスカーフを取り出し、切々とこの謂れを教えてくれました。


養子に来た父の従兄弟が特攻隊として出撃した時に着用していたのものです。


父の従兄弟は奇跡的に生きて終戦を迎えて、帰ってきましたが、一時期戦争による生と死のジレンマで我が身を取り乱し(特攻くずれ)の状態で両親に心配をかけたそうです。


その父の従兄弟が出撃で着用していた絹のスカーフ、黄色く色あせていました。昭和44年頃のことです。


その時でも終戦から四半世紀、それから40年以上経って、祖母、祖父、父の従兄弟、父も逝き、

そのスカーフも祖母の遺品整理の際、不明となり、その由縁を語れる物はなくなりましたが、遺品がなくなっても、祖母から教えてもらった戦争の悲惨さを少しでも次の世代に申し送ることが自分の責任だと思っています


8月になりますと、いつも絹のスカーフのことを思い出します。