青葉茂れる桜井の・・・ | 瀬戸際おじさんの徒然日記

楠木正成公が湊川の戦いに望み、現在の大阪府島本町桜井において今生の別れを息子正行に言渡したのは、今から約700近く前の5月25日でした。

一緒に闘いたいと懇願しましたが、自分が先に殉じた後のことを言い聞かせて、河内の国、千早赤坂の故郷へ帰るよう命じました。

5月になりますと必ずこのシーンが思い起こされます。

我が家にある中青江(備中鍛冶)の刀も同時期に南朝方の保護の下に製作されました。

今月は特にそのようなことを思いながら、念入りに手入れをしたいと思います。