言いますがこれが語源となった折紙です。
刀の鑑定家本阿弥家10代から発行したものです。本阿弥家一族が毎月3日に本家に集まり、みんなの合議の上、本家の名前で極めて発行します。
この折紙も宝永元年(約300年前)7月3日に13代光忠が「青江」と極め10枚(10両大判10枚)と代付しています。
青江(倉敷の近く)とは、古青江、中青江、末青江とあり、この刀は中青江に該当し、鎌倉時代後期から南北朝の初期に渡る期間に製作された長大な刀を戦闘の変遷の為、長さを短くしたために作者名が亡くなったので、本阿弥家が極めたものです。
13代までの折紙を古折紙と言い、貴重で鑑定も権威がありますが、それ以降の折紙は、田沼折紙の例のごとく、お金の力で出世させて極めたものが多く、ほとんど信用がありません。
正宗、江、貞宗の刀に14代以降が極めたものが、国宝や重文になっているものがたくさんあります。
それは大名家として、これらの刀の一振りは持たなければならないとプライドのため、江戸時代に製作された刀に、本阿弥家にお金を払い極めさせたもので、いわば持ちつ持たれつ、誰にも迷惑をかけない・・・という訳です。
でも、後世になってそれが市場に出回ってきたので問題となるのです。
美術館で、正宗、江、貞宗を見たら、「あの鑑定家の極めものだな」と思い出してみてください。
