動物愛護団体の歪んだ見解
映画「ザ・コーヴ」に関することは、
あちこちで色んな話を聞いたり話したりした。
シンプルな問題のはずなのに、
多くの人が多方面から発言しすぎてとても複雑化している。
中でも特にシンプルな問題にして、
本質に限りなく近いものを一つ。
極めてシンプルなはずなのだ。
だから不思議で仕方がない。
どうして、異文化を、受け入れようと、しないのか。
捕鯨禁止デモの最前列で、
巨大なプラカードを持って大声でがなっているアメリカ人女性が、
大きな身体ををすっぽりとミンクのコートで覆っていた。
そのコートを作るために一体何匹のミンクが殺されたかなんて想像もできない。
彼らは言う。
「鯨やイルカはとても頭のいい動物だ。殺すなどとんでもない」
頭が悪ければ殺してもいいのか?
魂の重さとは頭の良し悪しに関係するものなのか?
「鯨やイルカを食べる必要があるのか? 他にいくらでも食べるものはある」
何を食べても、命を奪うことに変わりはない。
僕達は命を奪い、食べることで自らを長らえている。
人間は、何かの命を奪わなければ生きてゆけない業の深い生き物だ。
「いただきます」
という言葉はそこから生まれた。
命をいただき、次の命を創る。
その連鎖を断ち切ることなどできないし、
あえてはみ出す必要もない、と僕は思う。
“鯨の数が減っている”なんてもはや前時代的なカビの生えた話だ。
どんな国でどんなものを食べようが、
それが生態系に著しくダメージを与えるものでないのなら、
“長年培ってきた異文化”ととらえてほしい。
そう思うのは、僕が日本に生まれたからなのだろうか。
ただ、映画「ザ・コーヴ」は、
ドキュメンタリー映画としてはよくできていると思う。
あくまでそれは、ドキュメンタリーでもルポルタージュでもなく、
ドキュメンタリー“映画”として、である。
内容が面白いだけに残念だ。
本当にドキュメントならば、
過剰に音楽で盛り上げたりナレーションをいれる必要がないからね。
家畜と食肉加工の現実をするどくえぐった映画、
「いのちの食べかた」などはとてもいい例だ。