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先月22日土曜日夕方に映画監督 松井 久子さんの2作目の作品 『折り梅』の鑑賞会
&トークセッションへ出掛けてきました。秋田市内でありました!!

この日は、春休み中でもあったこと。それから、、折角ならこの日に購入したサイン付きの『松井 久子の生きる力』をゆっくりと読んでから記事をアップしたかったこともあり、すっかりアップが遅くなってしまいました。これから書くことは、トークセッションで松井監督が話された内容だったり、
『生きる力』の抜き書きだったり、自分にとってとてもプラスになり、励みになったので、お伝えしたいと思います!!


まず、今回、松井監督が秋田にくるきっかけを作ってくれたある女性とのご縁があり、それが繋がり、短期間で企画、運営してくれた オトコ脳ラボの2人のパワーが大となり、実現できたこと感謝しております。

まずは『折り梅』の鑑賞会から~
『折り梅』の主人公の巴は、認知症にかかった姑の介護をしながら、花市場でパート勤めをしている。夫と二人の子どもの世話の上に、最近同居した姑の発病も重なって
巴の一日は忙しい。そんな妻を見かねて、夫の祐三はパートを辞めることを勧めるが、巴は頑として、「パートは辞めない」と言う。自分がこうして頑張れるのは、パートの仕事を通して社会とつながっているからだ。私だって夫や子ども、そして姑の介護など無縁な、自分だけの世界が欲しい。社会と細い糸で繋がっているから。家の仕事も頑張ることができる。
相手に変わってもらいたかったらまず自分が先に変わること。そうしたら夫が変わった。嫁がしだいに姑を見る目が変わっていく様子、そして最後には姑は認知症になったあとでもからだの中に眠っていた絵を描く才能を開花させた。認知症をかかえている家族がいながら家の中はいつも綺麗で決して弱音を吐かない巴の性格も印象的な映画だった。
原作は小菅 もとこさんの「忘れても、しあわせ」を松井監督が読み、その後、監督は第1作目の『ユキエ』の上映でご縁のあった全国各地の施設を訪ね、介護の経験された家族たちの話を聞いて歩いたそうです。そしてたどりついたのが「あるがまま受け止める」という『折り梅』に込めたメッセージだったそうです。ある人が癌に侵されたと分かったとき、患者の家族や周囲の人々は、その人の限りある命を惜しみながら、皆であらん限りの愛情を注いで看護する。
ところが、自分の親が認知症との診断を受けたときは、患者本人の気持ちより先に「困った」「大変だ」と想いは介護する側の困難の方にいってしまう。
私たちは、人生の最終ステージに、どんな病気で死んで行くか選べるわけではない。なのに認知症になった人だけが周囲から疎まれたり、厄介者扱いされなくてはならないとしたら、それはあまりにも不公平であり、理不尽なことだ。取材を重ねていくうちに認知症という病気ほど、誤解と偏見に塗り込まれた病はないことを知り、人々の間違った理解こそが、介護を困難にさせていることを知った。シナリオは松井監督が書き、2001年の夏に映画は完成したのだそうです。

映画の上映会が終わったあとに食事をとり、その後、トークセッションがありました。

その中で介護というのはこういうやり方が正しいというのはない。そして自分が選択するしかなく、選択することで、うしろめたさがある。

介護する人間が追いつめられている。無理をしすぎないで。選択肢をいっぱい、これが絶対と自分を追いつめないでほしい。
周囲の目、呪縛から解き放されるべき。生きている人は皆さん認められたい。家族の愛情を求めている。
嫁と姑の葛藤。わかっているのに大切な人を傷つけてしまう。

「自律」して生きるということ
男社会の中で仕事をしてきて、能力を発揮し、承認してもらい、リーダーシップを発揮する。そのときに強制されてきたのは「自我を押しとどめて、相手が理不尽なことを言ってても、相手はどう考えるか。」を思い、その訓練をしてきた。
自分を客観的にみながらコントロールする。自分の年齢とか自分は女だから無理とか決めつけて諦めることをしなかった。
既成概念で言われれば言われるほど「やってやろうじゃないの」というのが自分のバネになった。
「自分のサイズをそうたいてきなものさしで決めないで!1回の人生じゃないの。
がんばって自分のやりたいことをやったらいいんじゃないの。」と呼びかけている。
実績を作ったら勝ち!
「ひとりひとり自分のやっていることが生き甲斐なの」「ちゃんと言葉にして『ありがとう』と伝える。」「我慢するのはよくない」など話されました。

松井 久子監督の 生きる力を読んで~抜粋しました~

◎「自立」よりも「自律して生きたい」
人生はたった一度きりである。死ぬときになって後悔はしたくない。。ならば他人から何と言われようと、自分の選択肢によって、潔く、自分の人生を生きたほうがいい。
誰でも、長い人生のうちには数多くの不幸な出来事に遭遇するが、見舞われた不幸をただ嘆いて、犠牲者として生きるのではなく、そんなときこそ顔を上げて、前を向いて生きていきたい。

◎適度に「飢えさせる」子育て
子どもは、親に愛されているという実感と信頼さえあれば、精神の健康を保って育つことができる。
我が子が大人になり、実社会に巣立ったとき、豊かな人生を送ることを願うなら、親は自分の手が届くうちに、どうかわが子に免疫力をつけてやれるか考えるべきだと思う。
物質面でも情報面でも「物足りなさ」を抱えていなければ、向上心は湧いてこないからだ。
わが子にたくましく生きてもらいたいなら、必ずしも「模範的な親」である必要はないのだ。自身の生き方を。ある時期、子どもから軽蔑されたり、反発されたり、批判されることもいとわず、進んで「反面教師」にもなる覚悟をもつこと。それがいまのように、物質的には恵まれていながら心が空虚な時代の、子育ての心得ではないだろうか。

◎命をつなぐ者として
日本人は幼いころからの横並びの教育を受けてきたせいで、「他人と自分とは違う」ということに馴れていない。議論することが苦手で、「対立する」ことが罪悪のように思ってしまう。
異国に行くと、違うことが当たり前だ。皆が同じ考えを持っていることなど、あり得ないと考える。人間がそれぞれの「個」である以上、そう考えるほうが、ずっと自然である。人それぞれ違って当然なのだ。
 異国では、家庭でも、教育の場でも、幼いころから他者との「違い」を意識し、「自分は何者であるか」を考え、自分の考えと意見を持つ訓練をさせられる。
 私たちは、あとに続く世代に「命をつなぐ」責任を負っている。
依存心から脱却し、「個」を確立したこどもたちを育てることこそ、私たちに与えられた、大事な役割ではないだろうか。

◎人生は無情。妙薬は時間
人前では元気でいるのが礼儀、と心得ている。
自分の気持ちを持ち上げる役は、結局自分で引き受けるしかないのである。
他人と自分を比較しない。
社会の常識や既成概念にとらわれない。
自己嫌悪に陥りそうになったら、ダメな自分を許してやる。
そして、時を待つ。
そういう自己コントロールできることが「自律」なのだと思っている。
常識や古い習慣から自分を解き放ち、自律して生きてほしい。
夢や目標を持ったら、他人と比較せず、失敗を恐れず、それが成し遂げられるまで、
諦めず挑戦し続けてほしい。
人生は一度きりなのだからー。

この「松井 久子の生きる力」を読み終えたとき、トークセッションで胸がじわーっと熱くなった感覚がふたたびー感じることとなった。
この松井監督という人は50歳にして映画監督になり、今まで3本の映画『ユキエ』『折り梅』『レオニー』を作り、世に送り出してきましたが、この「生きる力」の本には松井監督が育った家庭の話、祖母の影響を受けて育った話なども交え、松井 久子さんという一人の女性の生き方、そして監督となるまでの仕事の道のりや子育ての経験から学んだこと、それぞれの映画ができるまでをイメージ湧きやすく、わかりやすく、そして監督のことばで、これからの人生の生きるヒントやスパイスをもらえた気がする。
  1作目の『ユキエ』それからイサム、ノグチの母の主人公の『レオニー』を出来れば今度はシアターで、『折り梅』ももう一度今度の上映場所はシアターでみたいと強く思った!!


この本にそして、『折り梅』に出逢えて良かった!!
映画を観にいかせてくれた家族に感謝です。行ってきていいよ!がなかったら出逢わなかった映画だと思う。

最後に松井監督の本をぜひ手に取って、読んでみてください!!
ファンの一員になることまちがいなし!!です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。