人創会 ブルペン、セマミチです。

ひと月1回更新のペース…。どーなのコレ…。
さてさて、逃げる事を覚えた所から続けます。

逃げる事は、更に僕の中で範囲を広げてきました。例えば勉強。
カブト虫が一匹、木で樹液を吸っています。
そこへ、もう一匹樹液を嗅ぎつけたカブト虫が、やって来ました。さて、この木には今、何匹のカブト虫が居ますか?
はい。二匹です。どうしても、二匹です。
コレ、普通の足し算。

しかし、中学の終わりの頃、僕の思考回路は、こう答える。
ぇ?皆んな大丈夫?樹液のある場所は、一本の木に、一箇所では無いぞ!上の方は見たか?他にカブト虫はいなかった?木、蹴って見た?
木の下の方は見た?潜っているよ!
…コレ、ウザイでしょ?

出題の意図、意味、は、関係無いのである。
事実、虫捕りはそう言う作業をするのであるし、そうして虫をとりたい一心で、色々試して、結果が出た事を信じるし、納得をした。
二匹と計算で出せる訳が無い。と…。
つまり、考える事をしないのである。
意図を読み取る事や、感じ取る事は、皆無なのである。
そして、こんな思考回路は逃げる事に、最高に便利だった。自分に都合よく物事を考え、都合良く否定し、他人のせいにし、自分は自分なのだから、コレで良い。
他人の勉強する姿を見て、ご苦労さん!
大変だねー!と平気で思っていた。
頑張って👍と、エールを送る愚か者であった。

どんどん自分に無責任になって行く事に気付きもしない。兎に角楽だし、楽しい。流れ行く雲の美しさ、夕焼けの優しい温もり、雨の静粛な雰囲気、嵐の前の稲光の不思議。動物達の慰め。
周りの人達は必死に、自分と、ライバルと戦っていると言う時期なのに。(受験戦争)
私は、他人を受け入れる事を嫌い、そんな自分を自分で慰め、のらりくらり、過ごした。
当然、誰も私の存在を気にする者は居ない。
人以外の事柄が、大好きだった。
そんな生活をしながら、テレビを見て頭の中に思う事が有りました。
皆んな、神様に願掛けして、御守りを買い、濛々と溢れ出す線香の煙を全身に満遍なく浴びて、やれやれ、ひとまずはコレで…。と、いった感じの合格祈願をする人達をテレビで見て居たが、何となく、理解出来ないのである。藁にもすがる人達にしか見えないのであった。そもそも、御守りを持って合格出来るなら、勉強しなくてもいいじゃん。てか、皆んな合格じゃん。でも、そうでは無かった人達は居る訳で…。
そしたら神様が悪いんじゃん。藁にもすがっての気持ちは、無くなり、あんな神様、ろくな者ではない!と、死ぬまで恨むのだろうか?と。
見た目は中3、中身は小3。あ、小3に失礼かな…。

合格に導いてくれる神なんて居ないから! 
もし、神様がいるのなら、それは、自然 である!
と、思って居ました。勉強せずに、自然にばかり時間を費やして来た僕はそう思って居ました。
どんなに、何を頑張っても、自然には勝てないし、人は自然に支配されているし、その中でしか生きて居ない。いや、生かされている。ワザとか?と思えるくらいに、絶妙なバランスで生かされている。と。

ようやく、神様が出てきました!
この後、虚無 へと向かいます。
もはや、自己紹介の範囲で無い事は、自分でも、しっかり分かっています。
ついでなので、このまま、行きます!

ではまた!