昭和ひとけた世代の人は、「戦前・戦後」という言葉を簡単に使う。分かりやすく言うと、米国と日本の戦争、或いは、太平洋戦争と言ってもいい。

日本における戦後の詩を語るに際して、西欧文明におけるギリシャ・ローマ文明とキリスト教のように、『荒地』と『列島』 を無視することはできない。『荒地』グループ  #の名は、あのT.S.Eliotの『荒地』に由来するもので、【現代は荒地である】という認識に基ずくものである。
日本におけるフォークの原点。ナターシャ・セブンの高石友也の歌に「私に人生というものがあるなら、あなたと過ごしたあの夏の日々....」というのがある。分かりやすく言えば、そういう意味での人生、一般的に言えば、(我々は生活に追われて毎日を生きているのであるが)本当の意味での生を生きているのであろうか?もしそうでなかったら、それは生きているとは言えない。即ち、death-in-life なのである。
我々は、このままでは駄目になってしまう(もう駄目になってしまった者も沢山いるだろう)。そのためには何をしたらよいのか? そうした危機意識をもって生と真剣な戦いをすることが生きている証なのである。愛だの、恋だの、女の涙だのといったことではなく、しっかりとした倫理観に支えられて、社会的にも政治的にも、 我々の存在そのものと関わるような詩であらねばならない。そういう詩を書くためには
一時も peace of mind であってはならぬ。それが{廃墟と荒廃の戦争から生き残った}  「若き荒地の詩人たち」の主張であって、ここに戦前の詩と明確に一線を画するのである。

 

# 後から『荒地』グループに加わった高野喜久雄さんの初期の詩を 3っつ紹介する。なお、高野喜久雄先生とは、彼が茂原農業高校に現れてから4年後に 「くに屋食堂」で親友に紹介された。(そのときの私は、茂農の隣の長生高校教師に移っていた。)
 

高野喜久雄 作詞;独楽、蝋燭、レコードのように

 

蝋燭

生存とは何かと問うことは、即ち生存を失うことである。しかし、無は、生存のうちにしか存在しない。燃え尽きがゆくがゆえに存在の証を証していく一本の蝋燭に隠喩される生命の実相。問い問われることのきびしさに

 

レコードのように
*****そうすると、目的に向かって針は歌っていくのである。その究極に待っているものは*****
すでにぽっかりとあいた穴かも知れないのだ。にもかかわらず、その無に向かって歌っていかなければならないのだ。針が  the meaning  of my dizzi ness を証して行くのであるが、それは「私」の肉体を切り刻んで行く(いや精神をかも知れない)という代償行為なのだ。キリキリと責めさいなむ心の痛みに耐えながら、the meaning of life を明かしていくのである。 しかし そうして 自分のまわりを回りながら、生命と引き換えの行為の先に待っているものは***** この残酷のイメージ・論理は、まさに独楽
のイメージでもある。これが「鏡」、「ろうそく」と続くと、むしろ底知れぬ恐怖の戦慄を覚える。    

 

鮎川信夫----「荒地」グループの中心; 【死んだ男】  

 たとえば霧や
 あらゆる階段のアシ音のなかから、
 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。

 --------これがすべての始まりである。

 

 

 

 埋葬の日は、言葉もなく
 立会う者もなかった。
 憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。

 空にむかって眼をあげ
 きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静か
  に横たわったのだ。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
 Mよ、地下に眠るMよ、
 きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

ついでに;私の詩;「 蝉の死と」 吉村 隆好

 

 陽炎の立ち上がる

 色を失った 真夏のアスファルトの道を
 男が一人 歩いていた
 と 突然
 ターンと するどい

 鼓の音がして 足を止めると
 そこに蝉があお向けに転がっていた
 見上げると コンクリートの柱がそびえていて
 その頂きから ヤクにおかされた太陽が
 ギラリと 男の眼球を射ぬく

 そのとたん 男は蝉になり

 やにわに その電柱を登り始めるのだが

 すぐに 下のアスファルトに

 たたき落されてしまう

 おーい はてしない草原よー
 ---男は陽炎のかなたに向かって叫ぶ

 

 蝉よ

 お前のすがりつく樹
 お前の吸うべき樹液 は
 灰色の陽炎のかなたに
 とうに 消えてしまったのだ
 おろかな奴!

 いや そうではない
 そうではないのだ

 血の流れていないコンクリートだと

 知っていて

 知っていながら なお

 それに すがりつかねばならない

 樹液など出ない 

 出るはずがないと

 知っていて

 知っていながら なお
 こころみなければならない
 お前

 

 こうして アスファルトの上に
 無残な姿を曝す身となっても
 お前の死骸を 大地にかえす
 地蟲さえも いないというのか

 やってくるあてのない 来るはずなどない

 安らぎを
 そうして 射ぬかれた眼で 待っているのか

 お前は

 

 おーい 雨に濡れた カテドラルよー
 ーーーかさかさに かわいた のどの奥で
 叫んではみるのだが

 やけただれた アスファルトを

 いつまでも さすっている男の耳には

 あの 鼓の 衝撃音が
 陽炎の めまいと共に
 次第に 増幅してくるのだった