5277日目 | ー 空手を始める人のために ー 福島県郡山市の空手先生奮闘記

5277日目

誰にでもできる空手 日本空手道神居塾



おはようございます。今日で震災から5277日目です。

 

優しくし過ぎる、構い過ぎる、囲い過ぎる、甘くし過ぎる、


そうするとね人はどんどん弱くなっていきます。



 なんでもそうですし、何をするにしても加減が大切ですし、中庸が肝要であると考えています。 



 要するに何をしても「過」は良くありません。 



 「過」を経験することは、人の幅を作りますから良いことだと思いますが、そこに滞在し続けることは逆の何かを失うこととなり、著しく人間が生きていく上で大切な何かが欠如してしまう危険性を孕んでいます。 



 それが一過性であっても「過」から何を学ぶのか?何を反面教師とするのか?


そこにいち早く気付き、学ぶことで、己の行いを省みて成長することが出来るのです。 



 親が子供に優しくしてあげるのは良いことですが、子供の年齢と社会的な成人する年齢までの月日を逆算して向き合っているのかな?と思う親御さんがいます。



 「嫌ならいいよ」 



 親は子供に強制せず、それどころか甘い声で逃げても良いと囁く


その子はとても能力も高く、鍛えればしっかりとした人間に成長出来るな〜と思っているのですが、頑張ろうとしている子供に悪魔の囁きをするので、その子はどんどんダメになっていくように感じています。



 社会に出た時に、嫌なことは全てやらなくても良い社会になっていますかね? 



 「嫌ならやらなくてもいいよ」と教え、本当に「嫌だからやらない」という態度がその子のデフォルトになった時に、親のあなたは責任取れますか? 



 よく頑張り過ぎて自殺してしまった子とかを例に「頑張らなくてもいいんだよ」ということを教育の核のように勘違いしてる人間もいます。 



 全てはケースバイケースだし、頑張るとか、頑張らないということが重要なのではなく、この子は今何に直面しているのか?どのように声をかけ、どのように導いてあげれば、良い形に帰結するのかということを、その子の将来までを見据えて向き合ってあげることではないですかね? 



 それが子離れ出来ない親の甘さで歪み、親の責任を果たせないようなら失礼ですが毒親でしかないと思ってしまいます。 




 「甘さ」もね過ぎればそれは暴力ですよ。 



 サイレント バイオレンスという言葉があるのかは判りませんが、そんなイメージです。



 子供は親の私物ではない。



 一人の人間なんです。



 親のあなたが居なくなっても生きていけるように育ててあげて欲しいと部外者ながらに思っています。








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100年ふくしま 日本空手道神居塾 栗田昭宏