誰にでもできる空手 日本空手道神居塾おはようございます。
今日で震災から3369日目です。
「信じて投げて打たれるのはいい。信じて投げて打たれたのなら、それは結果。一番いけないのは、やる前から打たれたらどうしようと考えること。」落合博満
打たれたらどうしよう とビビって パフォーマンスが落ちることは 本末転倒です。
そんな状態に陥るようならば 闘う意味はないと私も思います。
でもね、打たれたらどうしよう?という思いから、打たれない為の策を準備をしたり、打たれた後のことまで 考えて全力で投げることは プロフェッショナルな姿勢です。
野球の場合だと打たれる?打たれない?という分岐点が勝敗に大きな影響を与えてしまいますが、私たちの空手だと 打たれることを想定して反撃を組むこともありますし、打たせることも策として用いる場合もあります。
でも ビビって 闘っていたら、やはり自分の100%を引き出すことは出来ません。
闘う前から 自分の可能性を削って闘いの場に立つことに意味はあるのでしょうか?
勝つ為に 最悪の事態にも対応出来るように準備をするのと、負けるのが怖くて 最悪の事態に臆しているのは 全く異なるのです。
闘いに臨む人間には、闘う為の姿勢が求められます。
闘う目的が 勝利であるならば、メンタルポジションを絶対に修正しなければなりません。
人間修養が目的であるならば、段階的な意味合いが生まれて来ることでしょう。
そのことにより ビビっても 闘いに挑む姿勢に意味が生じますが、そのことによりステップアップをして 闘うことに慣れてくれば、結局は同じ局面にぶち当たります。
闘いとは、勝負です。
勝ち負けを競い合う場に立つということは、勝つ為に最善を尽くすという事と同義なのです。
そこにキチンと向き合えた人間にとっては、結果は 大した意味を持たなくなるということです。
結果を求めるということは、己の力を120%引き出せるように導く為の方便です。
そこを超えてしまえば 結果は意識せずとも 身の丈にあった形に収まります。
うちの道場生たちの中にも ビビって力を出せない者や 、ビビった自分を隠す為に 逃げ道や言い訳を絞り出そうとする者がいます。
完璧な人間なんて いませんから、弱いことは悪いことではありません。
しかし君たちは 修行の場に立っているのです。
ならば己を修養する為に 自身の弱さに闘いを挑まねばなりません。
自身の弱さを甘やかしていたら、肉体の年齢が上がっても、魂の年齢は変わらないままですよ。
魂の年齢とは、自ら挑まなければ引き上げることは出来ないのだということを知って下さい。
肉体は大人なのに、中身が幼児並みでは 生きている意味は失われてしまいますよ。
私はそう思います。
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