2464日目 | ー 空手を始める人のために ー 福島県郡山市の空手先生奮闘記

2464日目




おはようございます。
今日で震災から2464日目です。


【 品格 】 
辞書によると、その人やその物に感じられる気高さや上品さ。品位。「品格が備わる」だそうです。


先日 テレビで相撲における品格とは?という話題が話されており、「ルールではダメではないのに 何故やってはいけないのか分からない」ということをMCやコメンテーターが口にして 誰も品格について 的確なコメントを語ることができませんでした。


それを見て「あ~日本人はかくも ここまで堕ちてしまったのか~」と とても残念な気持ちになったものです。

なぜ学の高い 彼等に品格が解らなかったのか?


それは彼等に品格がないからです。


品格とは その人間の心の姿勢です。


ルールで許されているから 何でもして良いなどと考える人間に品格が醸し出されるわけがありません。


私たちも散々 大山総裁から 「君たちは品格ある空手を目指しなさい」と言われて来ました。


武道とは実戦を想定した 命のやり取りを磨くための術です。


実戦 とは何でもありであり、ルール等はありません。

卑怯も糞もない世界です。

しかし 試合において そこまで認めては死人が出てしまい成立しなくなります。


いつも話していますが、


試合に勝つことのみが最大の目的なのか?


試合とは その先に実戦を見据えた上での稽古の一環なのか?

にもより 空手そのものへの向き合い方は全然違うものになってしまいます。


試合に勝つことのみが最大の目的になっている人間には 

「ルールを利用して何が悪い?勝ってこその空手だろ?」


「いくら実戦を想定していても 負ければ弱いと言われるのだから 勝ってこそなんぼだよ!だからルールを利用しても何でも絶対に俺は勝ちにこだわるよ」


そういう風に自己正当化をします。


ですが 実戦を想定している派の方々は 

「ルールで顔面攻撃が禁止されているからと 顔面ガードを疎かにし、勝てば良いとノーガードで打ち合うことのどこが実戦か!それは武術ではなく スポーツだ!」

と言います。


私は どちらにも一理があると思います。


私も元々は喧嘩に強くなりたくて始めた空手でしたので、試合よりは喧嘩に強くなれる道を歩みたいと思っておりました。


ですが いくら喧嘩で自信があっても 試合で負ければ 弱いと思われます。


それは とても癪にさわります。


だから試合でも勝ちたい、勝つためにルールを守って全力でトレーニングを積む!

しかしルールは守っても ルールは利用しない。


だって実戦にはルールという武器はないのですから、ルールを利用して勝つ延長線上には実戦はないのです。

実戦の為の実力をつけたい人間にとって、それは意味のないことなのです。


しかし試合においては ルール上あり得ない 顔面攻撃を想定して闘う人間よりも

相手からの顔面攻撃はルール上ないのだから 顔面ガードをおろして接近し その分 相手を倍叩いたほうが有利だから 俺はそうする!という方々が現れ、実戦を想定したスタイルの方々を試合場の上で駆逐してきました。


そうすると それを見た 空手の知識もない、試合における成り立ちや その思想すら知らない人間たちが、試合での勝ち負けのみで 強い 弱い と騒ぐようになりました。

そういう流れの下で 現在の空手競技 隆盛の今があります。



顔面攻撃が禁止されているからと、試合で有利だからとノーガードで打ち合う先に品格は生まれません。



ルールでは 一秒の戦意喪失で 技あり 三秒の戦意喪失で一本となります。

なぜだか解りますか?

それは実戦において 一瞬でも戦意喪失という隙ができれば、その間に何でもして相手を追い込んでしまう、即ちトドメを刺すことができるからです。

ですが試合なので トドメは刺さない、お互いがそれを認識し 納得して 闘う中に品格は生まれます。


足払いをして下段突きを実際に当てなくても 極めれば 技あり というのも同じ理由からです。


単に安全性を順守しているわけではなく お互いが試合とはどのようなものであるのか?この闘いは何なのか?ということを充分に理解をして切磋琢磨する中に品格は生まれるのです。


それはルールを利用する しない の範疇には留まりません。


実戦を想定しているならば 常に倒すことに拘りを持つというスタイルも品格を生み出します。


実戦には 審判はいませんし、判定勝ちなどはないのですから 倒すことに拘って結果的に判定勝ちをしたのと 最初から判定勝ちを狙うのでは 全然異なります。



品格のない人間に限って、何でもありにすれば実戦的だと吐かしします。


あのね~先ほども述べたように実戦とは何でもありなのです。


そこでは何をするか?ではなく どこまでやるのか?が問題になります。



実戦になったら 相手は複数かもしれませんし、刃物も持っているかもしれまん。

噛みつくかもしれないし、目や金的を狙ってくるかもしれません。

そうしたらね 競技に特化した技術など 一つも使えなくなってしまいます。


実戦に卑怯はないのです。


実戦を本当に理解している人間は それが解っているから想定するのです。


そして想定しているから トドメは刺さないし、ルールは守っても 利用はしないのです。


ルールにより止められてはいても、拳を交えたお互いには その先が視えており、勝負を認識している・・・そこに 勝った人間、負けた人間にも品格が生まれるのです。



日本の柔道は一本勝ちを狙う柔道だと言われています。

しかし世界大会では 海外の方々は 勝てば良いとルールを利用して何でもありで向かってくる そこに辛酸を舐め続けました。



ここでも 問題になったのは 勝てばそれで良いのか?ということです。


嘉納治五郎先生が目指した品格のある柔道が そこにあるのか?


素晴らしいのは 日本の柔道界は 例え不利でも一本を取る柔道を貫き通すことを選んだことです。



品格とは 先に何を見据えているのか?という 目線の高さに生まれる 己の矜持だと私は考えます。


宗教でも キチンと戒律を守ろうとする姿勢には品格が生まれますが、開祖の言葉を自分の都合の良い形にねじ曲げて解釈する姿勢に品格は生まれません。


それはルールを利用して勝とうとする行為だからです。

同じように 法律で罰せられなければ何をしても良いのだと考えているような人間にも品格はありません。

法の抜け道などは いくらでもあり それを利用して悪事を働いている人間は沢山いるからです。


道に落ちていた財布を ラッキーと言って盗む行為も品格がありません。

見つからなければ何でもして良いのですか?

そういうことです。


大人が子供と喧嘩をしても、勝ち負けは決まっています。

だから大人は 子供と同じ土壌で闘うのではなく、大人な対応をする中に品格が生まれるのです。


これは横綱に求められている品格にも共通するものだと思いますよ。


横綱は一番なのです。


それは強さだけではなく、人間性においてもそうでなければならないという矜持を持つという意味において、だから勝てば良いのではなく、勝ち方に拘りを持たなければならないし、その姿勢を下の人間に示す役割があるのです。


そのために横綱にまで上り詰めたら もう番付が落ちないようにしてあるのでしょう?


それは品格を持って道を示してあげなさい そういうことだと私は思います。



相撲や空手などの武道においてガッツポーズが禁止されているのも、闘った相手への配慮からです。


負けた相手の気持ちを鑑みるという部分に品格は生まれます。


己の立場にのみ固執して 義を語る人間に品格はありません。


昨今の政治家、PTAなど そのものです。


今の日本社会から品格が消えてしまったから 社会が傾倒してしまったのです。



相手の思い、立場を鑑みて 、己の言葉や進退を決める思慮深さの中に品格は芽生えるものなのです。


己の都合のみを押し付ける人間は下品でしかありません。


下品とは人として最低という意味ですよ。


だからね、日本の識者が品格が解らない等と言う現状は 日本人の品位がそこまで堕ちてしまったことの表れだと 私は思っています。



それは とても残念なことなのです。



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