2.燃え尽き症候群に夢を見た
私もついに高校2年で進路を決定する時期に突入する。
変わらず母はまじめに看護婦の教育と臨床をこなしていた。
或る夜、母が購入していた専門雑誌がリビングにおいてあった。
その内容をなにげに見ていたら、「BURN OUT 症候群の研究」と題した研究論文が目に入った。
内容は通常の病棟よりもICUに配属された看護師の方が燃え尽き症候群となり離職する確率が高い、という調査研究であった。
これを読んで一言「すごい!こんな事を研究して書いてしまうこの世界に行きたい。
」
母は急に喜んで、その道を説いてくれた。
これこそ、私の求めている医療の世界と確信し、翌日進路指導の先生に報告した。
私「先生、私決めました。看護の世界を世間に伝えられる医療ジャーナリストになります。」
先生「それはどうやってなれるの?」
私「差し詰め東京の大学の保健衛生学部へ入ります。一応看護の資格も取れますが、将来はきっと看護婦から看護師という職業ができますから、看護師は医療ジャーナリストもできるようになると思ってます。」
先生「私にはその道のことよくわからないけど、あなたのお母さまが賛成されれば、きっとあるんでしょうね。プロだから」
で私は絶対東京の大学へ行くことだけを考え受験するのだが、現役不合格となるが人生に妥協できない。
絶対東京の大学へ行かねば目指す道は開拓できない、という信念で1年間予備校に通うことになった。
ここまでが、見た目重視の私の勘違いと母の意向との葛藤期だった。
青春時代まで田舎暮らしの母は、そこを脱出するには手に職をつけるしかないと思った時代。
女性が金銭を稼ぐことは自立するための必須条件であり、娘にもそうさせたいと願っていた。
だから私を強い女性にするには同じ道を歩ませるしかないと信じていたんだろうね。
じゃあ、何が母と叔母の生き方に違いがあったのか。
あの頃、叔母は必死で外国の英語ラジオ番組を聴いていたような。
ラジオからの情報収集能力が違いになっちゃった。
このチャンネルを見つけるかどうかで世界は変わるんだね。
そう、どこへ行くのか は、正しい情報量だったんだ。