10月22日、今日は午後からお目当ての「狐の嫁入り」があるので、朝から喜連川の名所旧跡巡りに忙しい!

 

ここは城下町として宿場町でもあった。

喜連川藩は僅か五千石のもっとも小さな藩ではあったが、足利氏の直系という事で徳川家から破格の扱いを受け、参勤交代は免除され御所格を与えられていたとの事。

なるほど・・そうインプットされると、落ち着いたなんとなく品がある街だなと感じる。

 

足利尊氏の開基により創建されたと伝えられる龍光寺(第二次大戦後、東勝寺から龍光寺に改められた)には歴代藩主の墓がある。

 

寒竹囲いの塀が並んでいる一角を歩いた。

見事と言うほかないが、手入れが大変どころじゃない気がする。

なんでも六代藩主喜連川茂氏(しげうじ)が、範の財政が苦しい中で板塀より周辺に自生する寒竹を使えば安く済むと奨励したらしい。

 

武家屋敷跡の御用堀に鯉がゆっくりと泳いでいた。

1842年(天保13年)、防火と農業用水路として宿場内の整備がされた様だ。

 

総鎮守喜連川神社の400年以上の歴史がある夏の天王祭「あばれ神輿」は見ごたえありそうだ。

 

社務所前に若山牧水の碑がある。  

 

 時をおき 老樹の雫おつるごと しずけき酒は 朝にこそあれ

 

璉光院(れんこういん)には野口雨情の「梅のお寺」の歌碑がある・・最初の妻ひろの実家が喜連川で一緒に訪れた時に読んだという。

    岡には春の風吹けど  竹の林にかこまれて 

  こぞめの花の紅の  佛になれぬ紅梅よ

 

 

喜連川城址は公園になっているが、スカイタワーは修繕工事中とかで閉まっていた。

小学校の校庭の片隅に小さな鳥居がある・・めずらしいなあ・・

午後からお目当ての「狐の嫁入り」行列が始まった。

これを見たくて街道歩きのスケジュールを決めた。

 

 その昔きつれ川にはな、きつねが多く棲んでいたそうじゃった、そこからな「きつね川」と呼ばれるようになったそうじゃ。陽気のいい時期にはな、山裾に赤い灯がともり、つ いては消え・消えてはついてな、まるで幻想的な世界だったそうじゃ。その不思議な光を見てな、人はこれを『狐の嫁入り』と言ったそうな・・・(抜粋)

 

一般の人も狐のメイクをして町中を一緒に練り歩くことができる楽しい面白い祭りだった。

 

道の駅きつれがわ横の鮎小屋で鮎釣りを眺めながらビール片手にをパクついた。

 

~時間はゆっくりゆっくり流れる~

頭の中で「私の城下町」を歌っていた・・