10月21日、宇都宮西口からバスで白沢へ。9時過ぎに着く。

白沢宿を出て氏家(うじいえ)宿、そして喜連川宿まで約15キロの街道予定だが寄り道すると???

田園風景の中を都会では絶対に吸えない澄んだ空気と匂いを体に受けながら歩き、鬼怒川の渡し跡に着いた。途中ちょっと道を間違え道草くった。

春から秋にかけては舟渡、冬の渇水期には仮橋を置いて氏家に向かったとある。

今は草が生い茂っている。

 

この近くに住んでいるという方が散歩中に見つけたと「むかご」見せてくれた。

見たことない大きさだ。2個頂いた。

 

余談:鬼怒川は日光の鬼怒沼(奥鬼怒)が源で流れが穏やかなことから「絹川」とも呼ばれたが、一旦増水すると暴れ川になり「鬼が怒った」とかで鬼怒川になったと。

畑ではトラクターが忙しく耕していた。

車に注意しながら阿久津大橋を渡り阿久津(さくら市)に。

 

「シルビアシジミ」発見の場所と書かれた看板が目に入った。

鬼怒川なのでシジミかと思ったら蝶だった~はずかいしい~

 

阿久津は舟運の一大拠点で、東奥から江戸に送る穀物などが陸路で運ばれて来て、ここから川船で江戸に送られた。「小江戸」と呼ばれてにぎわったようだが、今は遠い昔の物語になったという。

与作稲荷神社・浮島地蔵尊・豪奢な本殿の船玉神社など当時をしのばせるものがある。

与作稲荷神社

浮島地蔵尊

船玉神社

 

お腹もすいてきたところでタイミングよく食堂が目についたので休憩。

創業からの人気だという``もつ煮定食``にしたがラーメンまでついて腹はパンパン・・美味しかったです!

 

勝山城址にあるさくら市ミュージアムで院展が開かれていたので予定外入館。

▼撮影禁止でないコーナーでパチリ!

 

 

時間を気にしつつも勝山城址を一巡り、石垣などは無いが往時がしのばれる。

 

お伊勢の森を左に見、JR東北本線の踏切を渡り氏家宿の南端追分に着く。

 

圧倒される門構えや長屋門の家には驚くが、村の庄屋を勤めた村上家の棟門には五十里湖決壊の大洪水で浸水した跡がある。

なんと1.8メートルの高さだ。天和3年(1683年)におこった日光大地震の40年後の享保8年(1723年)8月に洪水は発生したと書かれている。

災害の恐ろしさをまざまざと感じた!!!

 

光明寺には宝暦九年(1759年)鋳造の青銅不動明王像が岩の上に鎮座している。

 

~誰がつけたか~思案橋が小さな川に掛かっている。

鎮守八幡宮本殿の馬の彫刻絵はいつのものだろう。

 

氏家宿を出て時計を見ると15時過ぎ、喜連川まで約4キロ

・・私の影も長くなった~ちょっと道草しすぎたかな 急がねば!!~

 

道端の花々に元気をもらいながらニッカウィスキー工場前を通り、連城橋~名前が良いね~を渡り喜連川宿に着く・・16時23分

 

ここ喜連川は日本三大美肌の湯とうたう温泉が出る。

今日の宿もその温泉を引いている。

日本三大美肌の湯:喜連川温泉(栃木県)、嬉野温泉(佐賀県)、斐乃上温泉(島根県)

と言われるが、根拠は・・???

まあ、深堀することでもないか