2023年10月20日9時過ぎ、本陣跡、旧日光街道と奥州街道の追分に立った。

気分爽快!!

 

ここから白河宿(福島県の入口)までは10の宿場があった。

奥州街道は青森津軽半島まで伸びている日本一長い街道だったが、五街道に制定された江戸幕府直轄は白河迄だった。

90キロ程度の道のりだが、右にそれ左にそれする一人旅なので完歩した暁には120~130キロ位は歩いているだろうな。

7月初めに日光街道を完歩してから3ヶ月あまり、やっと秋の入口に入った気分だ。

暦の上では秋真っ盛りなのに・・猛暑のなかで歩くのは危険なので予定より一か月遅らせた。

年々、春夏秋冬の四季感が崩れてきているよねぇ。

 

 

完歩・健康・交通安全の祈願の為、宇都宮市のほぼ中央にある宇都宮二荒山神社(ふたあらやま)に参拝。

 

平安から鎌倉時代にかけて、各々の国で最も格式が高い神社を「一之宮」としていた。

宇都宮二荒山神社も「下野国一之宮」だった。

宇都宮は、このイチノミヤがなまってウツノミヤになったという説がある。

格式ある神社だけに立派な大きな鳥居だ。

鳥居に一礼して右側をくぐり、数えなかったが100段以上あろうか・・石段を息を切らせて上り、手水を取り拝殿に参拝。

縁結びの神様としても人気がある様だね。

日光にも二荒山神社があるが、こちらは「ふたらさん」、祀られている神様も違う。

 

宇都宮城址(公園になっている)に行ってからオリオン商店街の裏を歩いていくと

公園の中に宇都宮の民話になっている「おしどり塚」碑がある。

 

史跡説明版:鎌倉時代の頃、この付近を流れていたあさり川で、猟師が一羽の雄のおしどりを射止め、その首を切り、身体だけを持ち帰った。翌日同じ場所でうずくまっている雌のおしどりを射ると、その翼の下には昨日のおしどりの首がしっかり抱きかかえられていた。猟師は鳥の持つ愛情に深く心を打たれ、今までの殺生を悔い、石塔を立てて供養したという。

 

同じ園内に幕末の勤皇派志士児島強介生誕の地の碑がある。

坂下門外の変」に参加協力したとして投獄され獄中で病死した。

 

坂下門外の変:桜田門外の変で大老井伊直弼が暗殺されたのち、公武合体を進めた老中安藤信正を文久2年1月15日(1862年2月13日)、尊王攘夷派水戸浪士6人が江戸城坂下門外で襲撃した事件

 

▲坂下門

▲桜田門

▲二重橋

 

幸橋(宇都宮宿の北口だったらしい)を渡り、JR宇都宮駅歩道橋にある餃子の像をなでて(別に意味は無いが・・)奥州街道最初の宿場白沢宿を目指した。約11キロ・・

 

店蔵が国指定重要文化財になっている旧篠原家住宅がある。一般公開されている。

江戸末期から明治初めに建てられた。宇都宮を代表する豪商であったことがうかがえる。

 

江戸時代の三大敵討ちといわれる「浄瑠璃坂の仇討」につながる興禅寺に立ち寄った。


 

浄瑠璃坂がある東京・新宿区市ヶ谷砂土原に行ってきた。

敵討ちの場所は坂を上り切ったあたりのようだ。

浄瑠璃坂の敵討ち:寛永8年(1668年)二代藩主奥平忠昌の興禅寺での法要で起こった同族家臣同士の死傷事件がもとで4年後に浄瑠璃坂で仇を討った事件。

江戸時代の三大仇討:鍵谷の辻の決闘/浄瑠璃坂の仇討/赤穂浪士の討入といわれる.

 

 

宇都宮郊外に出て竹林町に差し掛かった。一帯は竹林だったのだろうか?

明治27年築という長屋門がある。

~すごい構えだ!豪農だったのだろうなぁ~

 

 

地蔵前バス停まで来ると宇都宮藩の刑場跡「首切り地蔵」と

その少し手前に「根来塚跡」がある。

 

解説によると、玄和元年(1615年)二代将軍徳川秀忠の日光社寺詣でに先立ち、警護の為に「鉄砲組根来同心百人衆」が宇都宮に傭兵として派遣された。宇都宮藩主本田正純は一行に城普請を命じたが「お役違い」と拒否したため全員をここの刑場で斬首した。

宇都宮釣天井事件」の遠因になったとある。

 

根来衆:根来寺(今の和歌山県岩出市にある)の鉄砲で武装した僧兵集団

~子供のころ忍者ごっこして遊んだ/根来忍者とか伊賀忍者とか甲賀忍者とか~

 

宇都宮釣天井事件:宇都宮藩主で幕府年寄本田正純が宇都宮城に釣天井を仕掛け二代将軍徳川秀忠の暗殺を図ったとの嫌疑をかけられ、本田家は士籍をはく奪、正純は流刑に処せられた事件。実際は仕掛けなど無く失脚は別の原因と言われる。

 

~陰謀渦巻く世はいつの時代も変わらないものだな~

 

宇都宮環状線辺りから車の往来も少しずつ減ってきた。

稚児坂を上り、やっと白沢宿に入る。通りは人影もほとんどなく静かだが町はきれいに清掃されている。

清らかな小川が流れ、道端の大きくはないが水車が癒してくれる。

 

~家々は今でも「屋号」で呼び合うのだろうか~

柏屋とか住吉屋分家とかの札がある。

 

江戸時代の公衆便所跡がある。地中の構造は往時のものだそうだ。

小学児童が``えどじだいのころつかっていたトイレです。みなさん見てください``と書いた看板が貼ってある。

いっしょうけんめい書いてくれたんだろうねぇ

 

白沢宿彫刻屋台祭りのポスターを見つけた・・村の鎮守のお祭りを口ずさんでしまった。

コンビニもなく食事処もなかった(もしかしたら食事処は見落としたのかもしれないけど・・)、~白沢宿の手前でコンビニに入っておいて助かった~😌

 

今日は白沢の一里塚で終わり、16時過ぎバスで宇都宮に戻り駅前のビジネスホテルにイン。

 

 

 夜は宇都宮に来たら立ち寄る事にしている居酒屋・相馬龍で店主や奥さんと歓談しながら疲れを癒した。