6月4日、予定より一時間遅れでバスに乗り、10時過ぎに下大沢に着いた。
大沢宿~今市宿の7キロ強の杉並木を歩く事になる。
大沢小学校校門を入ったところに二宮尊徳像がある。
徳次郎から今市当たりの学校はどこも尊徳像があるのだろうな。
杉並木の外を這う様にう回路が整備されており、杉並木は殆ど車両通行禁止だ。
排気ガスや振動から杉並木を守る為だ。
また、杉のオーナー制度がありその運用益で保護事業を行っている。
天を突く様に鬱蒼と茂った大木の並木が延々と続いている。
それにしても花粉シーズンにここを歩いていたら大変なことになっていた😢🤧
森友辺りで土手に上がると日光連山が見えた。
さらにズンズン歩くと杉の幹当りの割れ目に山桜が寄生して桜杉になっていた。
すぐ近くの大杉は根元が大きな空洞になっている。
並木ホテルと呼ぶらしい。特別天然記念物だ。
東武日光線のガードをくぐりまもなく追分、いよいよ今市宿に入った。
ここは日光東照宮参拝の一つ前の宿で例幣使道が合流する重要な場所だった故に、他の宿場にある様な歓楽はなかったんだと、昨夜相馬龍で一緒に飲んだ方が言っていた。
追分地蔵尊で手を合わせ、目の前の蕎麦屋で湯葉蕎麦と湯葉天ぷらで遅い昼食。
しばし休憩ののち街中を歩く。
二宮尊徳はこの地で終焉、報徳二宮神社の裏に墓がある。
ここ今市宿は慶応4年(1868年)戊辰戦争で街並みの大半が灰となってしまったので、宿場町としての面影はほとんど消えていたが、かすかに匂いはしていた。
今市出身の歌謡曲作曲家船村徹記念館があった。
杉並木公園脇の水車の音にしばし癒され、鬱蒼とした杉並木の空気を腹いっぱい吸いながら歩いた。
ここは戊辰戦争最後の激戦地でその痕跡が今も残っている。
今日は野口で終えた。
JR今市駅発16時26分帰路に就く。
さあ、いよいよ後10キロで最後の宿、鉢石宿そして東照宮だ。
梅雨に入ってしまったが、天気予報と睨めっこして鉢石に入ろう。