11月27日10時少し前、草加松原の百代橋に立っている。

 

今日は天気にも恵まれたので、越谷宿を通り、粕壁宿までおよそ15キロ。

ちょっと速足で歩く事にしよう。

 

左手を走る東武伊勢崎線に引き寄せられそうになりながらも歩き歩き、

蒲生/越谷/大袋/千間台/武里/一ノ割を過ぎ・・・

越谷宿の人口は、江戸後期4000人を超え、近隣商圏の中心であった様だが、明治の2度の大火で宿場町の街並みは殆ど無くなったそうだ。

 

 

粕壁宿本陣跡に16時過ぎ到着

松尾芭蕉が奥の細道に曽良を連れて、深川を出て最初の宿は粕壁だといわれている。

くしくも今日は27日/芭蕉が粕壁に泊ったのも廿七日!!!

 

曽良の随行日記「廿七日夜カスカヘ二泊ル江戸ヨリ九里余」とあるが九里と言えばおよそ36キロ。

松尾芭蕉は忍者だった・・と言う説もあるが、「お江戸日本橋七つ立ち」と歌われるように、昔は今の午前四時頃出発して暗くなる前に宿に入っていた様なので、40キロくらいの歩きは普通だったのだろう。

いずれにしても粕壁宿に泊まったのは曽良の随行日記に書かれているし事実だね!

と思いきや、最初に泊まったのは草加だとも??

 

粕壁宿は、古利根川の舟運で江戸と結ばれ、物資の集散地として栄えたそうだ。

今はみんなが知っているクレヨンしんちゃん!!

 

そうそう豪華な押絵羽子板はここの特産品だ。

浅草の押絵師たちが太平洋戦争の戦禍から逃れ、桐の産地であった粕壁に移り住んだのが始まりだと。

 

街道沿いは清掃が行き届いている!

街道沿いの歴史碑しかり、豪壮な家と蔵、国登録有形文化財の土蔵などなど物資の集散地として栄えた粕壁宿を垣間見る。

 

 

最勝院という寺がある。日光社寺大猷院に移葬される三代将軍家光の亡骸が仮安置された。

 

番外編)

春日部には「首都圏外郭放水路」がある。洪水災害用の世界最大の地下放水路だ。

見学出来る様なので是非、行こうと思う。