北千住は、JR常磐線、つくばエクスプレス線、東武スカイツリーライン、東京メトロ千代田線&日比谷線が行き交っていて昼夜問わず活気がある。

路地はウナギの寝床ならぬ「魚の骨」そんな下町風情漂う街と同時に五つの大学キャンパスがある学生の街でもある。

千住を楽しむなら旧日光街道の宿場町通りの「千住 街の駅」でOh! Senju Mapをもらおう 。

 

 

一日巡っても飽きない情報満載だ。

 

宿場町通りに「絵馬屋」と書かれた店がある。

ここは江戸中期より続く絵馬や行灯や凧等を描いていて、

今でも秋祭りの時に飾られているそうだ。

安養院と言うお寺に芭蕉句碑がある・・ゆく春や鳥なき魚の目は泪・・

「槍かけだんご かどや」の団子は人気があるらしいが今日も閉まっていた。

商店街は夕方から「せんべろ」酒場の街に変身!!

 

雨模様の中、千住宿を抜けて荒川に出る。

川元に八代将軍吉宗が鷹狩の際に休息した爺が茶屋という茶屋があったらしい。

梅島を過ぎ竹ノ塚との中間あたりに差し掛かると「葵の紋」と龍の絵が描かれた国土安穏寺に着いた。

徳川家の祈願寺だった。

 

さらに歩くと鷺神社がある。創建は1318年。

八代将軍吉宗が巡遊の際に腰かけたという「将軍石」があったので腰かけ殿様気分に。

 

さらにてくてくと歩き谷塚を過ぎやっと草加宿、本陣跡に着いた。

 

草加の由来は、家康が巡行の際に、ここは沼地だったため、柳の木や芽を束ねて縦横に埋め込んで新道を造った。

家康は草も役に立つものだと褒めてこの地を「草加」と名付けたとの伝えがあるがどうだろうか?

 

草加と言えば「草加せんべい」、草加せんべい発祥の地の碑がある。

草加せんべいの歴史は古く江戸時代にさかのぼる。

草加松原で茶店を開く「おせん」という女性が、売れ残った団子に困っていると、通りがかりの武士に「団子を乾かし、延ばして焼餅にしてみたらどうだ」と言われて作ってみたところ、大変な人気になり草加の名物になったとか。これは伝説だよと言う人もいる

が、それでもこういう伝説はほっこりするね。

街道両脇を中心に50~60軒くらいの店があり、予約すれば手焼き体験できる店が何軒もあるよ。

 

そしてもう一つ、草加松原の千本松原と呼ばれた場所!「日本の道百選」になっている。

 

松尾芭蕉・・その日ようやく草加と言う宿にたどり着にけり

    ・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也

 

正岡子規が明治27年、高浜虚子をそそのかして(らしい)草加まで来たときに読んだ句

 

  梅を見て野を見て行きぬ草加まで・・・正岡子規

 

巡礼や草加あたりを帰る鷹・・・高浜虚子

 

水原秋櫻子の句碑もある・・・草紅葉草加煎餅を干しにけり

 

句を詠むほどの美しい場所だったのだろうなあ

 

句碑や石像や芭蕉と曽良の旅姿の壁画がある。

 

越谷宿まで予定していたが、雨も降ったりやんだり・・この日はここ草加宿で草鞋を脱いだ。

 

(横道余談)

ここは私が30才半ばの数年間を過ごした街だ。

駅名は松原団地だったが、今は獨協大学前になっている。

松林に囲まれたマンモス団地があったが民間のマンション群に変容している。

当時、梅雨時には辺り一帯冠水し小舟が出た事もあったなあ・・そんな時はバイパス沿いを長靴を履いて隣の草加駅まで歩いていた。超満員の通勤地獄も味わった・・