3月20日、縄文杉トレッキング 一度登っているがこれが最後かなと思う。

 

日光街道とか奥州街道とかの五街道歩きをしているし、一か月前から駅の地下ホームから地上出口までエスカレーターやエレベーターを使わず、200段の階段を上り下りして

足腰は鍛えているつもりなので縄文杉まで登れるだろう。

 

3時半起床、携帯アラームが起こしてくれたが、やはり眠い・・

雨は幸いにやんでいる。

 

4時半に指定された集合場所に行き、バスで昨日の屋久杉自然館へ。

ここで登山バスに乗り換え約40分で標高600mの荒川登山口に着いた。風があり寒い!

 

6時前、まだ薄暗い荒川登山口をガイド付きツアーに交じって出発! 

下山時刻があるので致し方ないが思っていたより速足だ。

軌道トロッコ道8Km、山登り&階段約2.5Km、往復約22Kmを10時間の予定である。

 

トロッコ道は木材の搬出はもう無いが、トイレの排泄物の運搬や登山中に怪我をした時の救急に今も使われている。

荒川橋鉄橋を渡り、トンネルを抜け、欄干がない橋をヒヤヒヤしながら渡る(帰りは風がやむのを待ち、腰をかがめて渡った)

 

6時44分、小杉谷橋辺りで空が明るくなっていた・・この時点では今日の天気は良さそうだった・・

小杉谷・石塚集落と小杉谷小中学校跡と書かれた看板がある。

1923年(大正12年)木材の伐採・搬出の前線基地としてつくられた場所で、最盛期には540人が生活し、1963年(昭和38年)には小・中学校生徒147名が学んでいたという。

1970年(昭和45年)事業所の閉鎖とともに半世紀の歴史を閉じた。

 

小休憩し悠久の時が刻まれた森を歩き始める。

▲トロッコ道には、他の一行も。

 

伐採された幹や朽ちた幹、一代目の杉に二代目・三代目が宿っている三代杉

幹回りが8.3mの仁王杉、途中、鹿や猿がお出まし。

 

 

 

 

トロッコ道8キロを歩き終え、大株歩道入口に到着。登山口との標高差は約300m。

ここからが本番・・縄文杉まで約2.5キロ/縄文杉との標高差約400m・・だが風が相当強くなってきた。

最後のトイレ休憩ののち山道に入る。急な山道が続く。

木の階段(手摺がないので不安定だ)、樹の根っこがあっちこっち張り出し、石がゴロゴロ・・足を取られそうになる。

 

息を切らしながら、ウィルソン株にたどり着いた!!! パワースポットだ!!!

樹齢2000年とも3000年ともいわれる切株で周りは約14mもある。

切株の中に入ると畳十畳ほどの空洞になっていて見上げるとハートの形をしている。

▲見る角度によって、ハート型に見える

 

豊臣秀吉が島津に命じて、大阪城築城の為(京都の方広寺建立の為ともいわれる)に伐採させたといわれるが、

それにしても一体何人がかりでどうやって切り倒し運んだのだろう。

ウィルソン株の名前は、アメリカの植物学者ウィルソン博士が屋久島に来た時の記念に名付けられた。

 

ここから縄文杉まで残り約1.9キロ、標高差約250m!!

だが、風はますます強くなり、アラレがバタバタ降り出した。

防寒コートを着ていても寒くなった・・ 手袋していても手がかじかんできた・・

このまま登るか下山するか迷いながら進むが足場が・・・・

 

1キロちょっとか・・どうしよう・・無理して縄文杉まで行くか・・・

下山する時の方が危ないのは判っている。

今の天気と足場の悪さと残っているであろう体力ともう若くは無い自分の歳を考えると・・・

心残りはしたがガイドに伝えた。

 

サヨウナラ縄文杉! 

▲下山途中にマムシ草

 

 

縄文杉まで登った人達の話では、雪が降り出していた様だ。

また、この日は飛行機も船も強風ですべて欠航していた。

無理しなくて良かったと思う!

 

途中下山した事で体力は残っていたので、一緒に下山したSさんと”これも何かの縁”と

今夜の宿泊地「宮之浦」の街中の居酒屋で慰労会?残念会?をした。

▲魚のお刺身と、鹿肉のお刺身!! 臭み?ちょっとあるけど、美味しいよ