メリークルシミマス!!(うるへえ)

 みなさん、お疲れ様です。
 えー、なんでしょうねwww彼女、彼氏?何それおいしいの?ww
 どうも、皆様こんばんは。新納寛治です。
 
 今回、まさかのまさか……
 

カバー曲ししらみセットでた!!(商品宣伝みたいに言うな)

 今回、なんと!!ししろん姉さんのカバー曲が出た矢先、ししらみのカバー曲がでたのです!!
 公開は明日ということなので、実に楽しみですね!!
 リマインダー設定をみなさんとしませう!!
 

なぜ、嘆く(軽めの余談)

 今日はクリスマスですが、「クリぼっちかわいそう」という声を聴きます。
 しかし、本当に「かわいそう」な状態なのでしょうか?
 仏教では、自分の視界が歪んだ存在だと捉えています。なぜなら、自己中心的に物事を見ているからです。偏った心によって偏った考えをし、偏った行いを我々はしてしまいます。
 「かわいそう」という感情もそうです。その人なりに、孤独でも幸せを見出されている方は十分にいらっしゃるはずです。しかし、なぜそんな感情が次々と出現するのでしょうか?その原因の一つが「恋愛至上主義」という1つの価値観に多くの人が縛られているからだと考えます。「恋愛」がなければ、落ちこぼれ或いは人生敗北者とみなされ、逆にあれば、人生勝ち組だとほめ讃えられます。しかし、その価値観は単なる1つの価値観にしかすぎません。別にその価値観に頼らずとも人生に多くの幸を見出す方法があるはずです。その他の方法の存在にどれくらいの人が気づいているのでしょうか?
 価値観が多様化した時代になってきましたが、もしかすると、未だに我々は知らない価値観を見ようとしていないのではないでしょうか?見ようとしていないからこそ、一方的な憐れみの感情がでるのではないでしょうか?