私は ❮自信家❯ です。
ただ、特別な能力があるというわけではありません。
それは❮他人に助けてもらわなければ生きていけないという自信がある❯
ということです。
この❮自信❯を明らかにすることは、少し勇気のいることです。
なぜなら、私たちは❮弱さをおおい隠す時代❯に生きているからです。
子どもたちは何故❮助けて❯とも言わずに死をえらぶのでしょうか。
子どもは❮助けて❯と言って、嫌なら泣けばいい。そして逃げればいい。
でもしない。いや出来ない。
それは、私たち大人が❮助けて❯と言わないからだと思います。
子どもたちには❮自分の力で生きていく、それが立派な大人❯と見えているかも知れない。でも、人は独りで生きられないし、実際に独りでは生きていません。
大人がこの事実をおおい隠す限り、悲しい事件は続きます。
空 海 草木 そしてあらゆる生き物が備えられ、それらを支えにしてやっと人は生きることができる、私たちはこれらなしでは生きられない、弱い存在なのです。
人は本質的に他者を必要としています。
❮地球上のすべてのものを大切にしないと人類は滅びますよ❯
という聖書の創世記。
従来、サルと人間の違いは二足歩行できること、道具を生み出したこと、あるいは脳が発達して言語を操れることなどと考えられてきました。❮下等なサルから高等な人間に変化❯し、❮より優れた状態に発達する❯ことを❮進化❯ととらえてきました。
直立歩行が可能になった結果、骨盤が狭くなり産道が複雑化し、さらに脳の肥大も伴って、人類は超難産になった。
今もサルは一人で出産するが、人間は他人の助けがなくては産めなくなり、結果、家族や社会が生まれたと唱えるある女性人類学者。
進化とは、サルが一人でできたことを人類が出来なくなったことを含むわけです。❮より優れた状態❯どころか❮退化した❯とも言える変化です。
でも、その弱さが私たちを結び合わせたのです。
弱さを嫌って避ける時代を生きる私たちにとって、この事実は何を意味するのでしょう。
弱かったから人間になれた、人は一人では誕生し得ない。この宿命的弱さを大事にすること。
つまり、❮助けて❯と言えるのが人間なのです。
奥田知志 (牧師)