嗚呼、梅宮辰夫さんが・・・転居先の真鶴でママと3人で美味しい魚を食べたかったわね。

私のデビュー作「殺れてたまるか」で共演して以来、東映のゴールデンコンビとして、「ヨッコ」「梅ちゃん」と呼び合いながら、60年歩んできた大切な同志。

一昨年、「美味しい寿司を食べに行こうよ」と誘ってくださり、ママも交えた、ゆったりとしたひとときが忘れられません。

「ヨッコも俺も、未だに現役で仕事しているって、凄い事だよ」。

去年3月のパーティーは、私がまだ頸椎の手術から日が浅く、結局、間際に欠席の電話をせざるを得なかった。

「そうか~、来れないのか」とほんとうにガッカリした様子の梅ちゃんに、ただただ申し訳なかった。

「今度、必ず真鶴に遊びに行くからね」と約束しながら、果たせなかった事が、心苦しくて、つらくて・・・。

またひとり、大切な仲間が先に逝ってしまった。

寂しいよ。梅ちゃん。

どうぞ安らかにお眠りください。

(12月12日発表コメント全文)

私のデビュー作、そして梅ちゃんとのゴールデンコンビ第1作の「殺れてたまるか」(1960年)。それからの数年に、いったい何本一緒に撮ったかしら。

私が初めての映画賞を頂いた「廓育ち」(1964年)にも。

そしてテレビドラマの世界では・・・「外科医・有森冴子Ⅱ」(日本テレビ/1992年)に、冴子のお見合い相手としてゲスト出演。

 

プロデューサーが「1話限りだし、無理だよなあ」と諦めていた出演を、甘えてお願いしたら、「ヨッコのためなら」と快諾してくれた梅ちゃん。

    「スイートホーム殺人事件」(TBS/1983年)

 

「日向夢子・調停委員事件簿5~高価な代償」(フジテレビ/2008年)では、夢子の亡き夫役で・・・。特別、お願いしたわね。

「いいよ!やるよ!!」と、いつも快く共演してくれた梅ちゃん。

ほんとうに大切な仲間が、突然・・・・。

梅ちゃん。ありがとう。そしてさようなら。   

                     合掌

佳子