前代未聞の城攻め ~備中高松城散策~ | 歴史男子(半ちゃん)が語る日常と歴史ロマン記

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ご無沙汰しておりました(;^_^A

 

定期的に再発する呼吸器系の不具合あせる

会社ではモノづくりをしているので、顧客から不具合品を返品されると調査などで原因究明して、対策を立案し、改善努力に努めますが…

 

自分の体のことなのに、再発するとどうにもならない現実…

いろいろショックが重なり、引き籠りでした(笑)

 

でも本日、徳島県に久しぶりに大型ショッピングモールが開店したので、5日ぶりにジョギングしてきました走る人

(ってか、やっと走っても咳き込まなくなったあせる)

 

つい一週間前まで、当たり前のように長距離走も出来たのに、今は10kmをいつもの半分のスピードが精一杯(><;)

 

お蔭で景色を楽しむことが出来ましたが…

 

いつものように前向きになれない自分が居て、余計に落ちんだのでダウン

ゴールデンウイークは、遊びと完全休養を使い分けて、とりあえず走れる状態に戻します。

 

 

さて、そんなこんなで、苦しんだ一週間でしたが、久しぶりに備中遠征記事の再開と行きたいと思います(≡^∇^≡)

 

時は、1582年。

織田 VS 毛利の中国地方覇権争いの真っ只中。

 

高松城主である清水宗治は、毛利家への忠義に厚い武将で、織田の大軍に城を包囲されても降伏することはありませんでした。

 

あまりに忠義一途な清水宗治を殺すに惜しい武将と感じた秀吉は、調略で味方にしようと考えましたが、宗治は全く相手にせず。。。

 

あまり手こずると、大将である信長の逆鱗に触れるため、秀吉は一計を案じます。

一説には、軍師である黒田官兵衛の進言であったとも伝わりますが。

 

その一計とは、備中高松城の地形を利用した水攻めでした。

 

周囲を湿地帯に囲まれ、力攻めをすれば、足をとられた味方が集中攻撃を受けて犠牲が大きくなる…

 

そのために自然を味方にする策でした。

 

高さ8m、総延長2.6kmにもなる堤防を梅雨時期の僅か12日程度で築き、城を完全に包囲します。

 

そして、周囲を流れる足守川の水流が多くなったことを確認したうえで、堤防を決壊させて、高松城を水没させました。

 

秀吉軍の奇想天外な城攻めに驚いた、毛利軍も吉川元春、小早川隆景など主力部隊を出陣させて、高松城の救援に向かいますが…

水没した城には助けを出すことも出来ず・・・

 

両軍ともに高松城を挟んで、睨み合いとなります。

 

その睨み合いの最中…

1582年6月2日未明に、秀吉の主君である織田信長が本能寺に倒れます。

情報に嘆き悲しむ秀吉の隣で、軍師である黒田官兵衛は、チャンス到来だと檄を飛ばし、秀吉に毛利との和睦を進めさせます。

 

その和睦条件とは、高松城主である清水宗治の切腹。

ただし、織田方が取り上げる予定であった毛利の領国は、ほぼ毛利家のままとされました。

 

必死に宗治の命乞いをする毛利家でしたが、宗治は毛利家への恩に報いることと、領民の命を救うために自らの命を擲って、自害して果てます。

 

この後、秀吉は中国大返しを成功させて、山崎合戦で明智光秀を討ち、信長の後継者となっていきます。

 

今では、史跡公園となっており、市民の憩いの場ですが、この地には民のために自らの命を擲つほどの男気ある武将が居ました。

 

お墓の写真は撮影しませんでしたが、今でも公園内に、清水宗治の首塚が祀られており、地域の方が年に一回は供養祭を行っているそうです。

 

ここでの成功を見ていた、秀吉の腹心である石田三成が、北条攻めのおり、忍城攻めの際に水攻めを行いますが、見事に失敗。

 

これ以来、三成は戦下手と現代まで言われています。

 

高松城水攻めは、その手法も前代未聞でしたが、数少ない成功例という点でも現代まで語られる斬新な策だったということですね。

 

特に見所は残っていませんが、それでも現地へ行くだけで歴史好きはテンションが上がるはずなので、ぜひルンルン

 

 

記事は多く抱えていますが、体調と相談しながら、アップしますので、季節外れになりそうですが、ご容赦のほど(^▽^;)

 

僕の場合は、仕事を楽にしたけど、数か月の重圧が体に大きな負荷を与えたのだろうという診察結果でした。

 

趣味も仕事も程々が、一番健康的ってことですね(笑)

 

ムリせずに×2…言い聞かせているのでした(笑)