
いつもながら遠い(^▽^;)
先日、史跡巡りで訪れた鷲敷町をさらに奥へ進むこと約1時間…
徳島市内からだと、約100kmほどあり、山道でグネグネしているので、信号が無いにも関わらず、約2時間掛かりますσ(^_^;)
でも、昔に比べたら社会人になって経験も豊富になったので、人見知りはあるけど、顔合せる親戚の方々とは普通に会話は出来ます(^▽^;)
去年、婆ちゃんが旅立った後の葬儀の時は、台風接近

で、今年の一周忌は、徳島市内では35度の猛暑日

徳島って、海がすぐ近くなので、観測地点で35度になることは、数年に一度しかありません(^▽^;)
それがいきなりねぇ…
婆ちゃんに会いに行く時は、いろいろ演出してくれます(笑)
でも暑いのに、山奥なのに、猛烈な風が吹いて、しかも風が冷たいΣ(゚д゚;)
なので、徳島市内に居たら、きっと嫌になったはずの一日が比較的快適でした

昨年の記事
一周忌法要も終わり、親戚一同から、仕事とマラソンどちらにも期待されていることを散々伝えられてプレッシャーを感じながら居ると…
父が昔、暮らしていた、さらに奥にある家に行きたいと言い出したので、お先に失礼することに(助かったなぁ…)

祖母は、徳島県那賀郡木頭村という場所に生を受け、約80年に渡り、そこで暮らしました。
最期は徳島市内の施設で、永眠しましたが、この場所が僕のルーツの一つです。
そこに静岡県出身の祖父が、この地を気に入り、移住して結婚。
そして、父を始めとする五人兄弟妹を育て、今の僕の親戚関係が成り立っています。
赤囲み部分が、木頭村の中心部。
今回向かったのが、黄色囲み部分にある父が少年期を過ごした旧家。
行く道は狭いですが、この道は一応、高知県高知市まで繋がっています。
父が幼い頃に祖父は早世しました(50代前半)
そのため、父は幼い頃から、貧しかった家計を支えるため、当時の収入源であった材木の切り出しや畑仕事に明け暮れていたそうです。
18歳になって、やっとバイクの免許を取ると、片道8時間掛けて徳島市内へΣ(゚д゚;)
高知市内へも6時間掛かったそうです((>д<))
車と言う最強の交通手段を手にした僕ら世代には、想像できない時間感覚です

若い頃に苦労した父なので、厳しいかと思いきや…
(ま、昔はそれなりに厳しかったですが)
最近は、それなりの会社で、主軸を担っている息子の自慢。
そして、同じく100kmマラソンなどにチャレンジしている周囲の方の知り合いが成功していないので、完走した息子の自慢をしているようです(^▽^;)
僕とは全く逆のがっしりした体格だったのに、最近は小さくなったような気がします…
これも時代の流れなので益々、僕がしっかりしなければと思いますが、身内の自慢を始める時点で弱気になっているのでしょうね(^▽^;)
親孝行しようと思います。

木頭村中内集落。
昔は、三十戸以上の人の暮らしがあり、地域の子供だけで野球の試合が出来るほどだったそうです。
昭和49年には、地域に人が居なくなり、集落は廃村となりました。


何だか、能登七尾城跡を見ているような感じに錯覚する画でした

ここに祖父・祖母・父や兄弟たちの生活があり、段々畑の石積みを形成し、畑仕事をして、その段々畑の上で野球の試合をして、飛び回っていた…
僕よりも、余程に凄い身体能力だと思います(笑)

今でも一番上のおじさん(父の兄)が、木頭村の中心地から、ここまで訪れて畑仕事をたまにしているそうですが、野生のイノシシ・シカ・熊が出没するので、荒らされ放題のようです

今の番人は、人間ではなく、街中で見かけなくなった『とんぼ君』

もう誰も居ない父の生家。
でも紛れもなく、僕の血の4分の1は、ここから受け継がれています。
ちなみ山岳地のお百姓さんって感じですが、昔は細川真之側の阿波山岳武士が帰農した流れみたいです。
ちょうど法要で、住職さんがおいでだったので、聞いてみました。
つまり、父方の祖父は駿河。祖母は細川家よりの武将から帰農。
母方の祖父母は、三好家家臣筋…
僕は三好と細川のハーフですね(笑)
結論は、もう少し先になりそうです

どちらにしても、僕までバトンを繋いでくれた先祖(祖父母以前)と息子を自慢する父・母のためにも努力と精進、初心を忘れない人間でありたいと心から感じる一日でした(≡^∇^≡)
マラソン自己ベスト更新に、100km完走に、部下を思いやれる上司という高みを目指して、2016年後半頑張っていきます(o^-')b