阿波城跡探訪 ~鬼神岳城編(No177)~ | 歴史男子(半ちゃん)が語る日常と歴史ロマン記

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歴史好き男子が好きなこと(歴史、マラソン、旅行etc)つぶやいています♪

本日も多くの場所で、マラソン大会が開催されております走る人

参加された皆様お疲れ様でしたビックリマーク

自分もガッツリ25km練習 + 城跡巡り行きました走る人



足の調子はイマイチですが・・・

ラン走行距離は、順調に伸びております音譜



ずっと足に芯が入ったような違和感があったのですが、今は走り出し時に、痛みが起こりますあせる

でも、2kmほどでしっかり解れてくると、痛みはどこ吹く風になり、快調に走れます走る人



どんな強い人でも、きっとどこかに不安を抱えながら、練習・努力しているはずなので、自分もしばらくは現状をキープしながら、精進するのみですね音譜



本日時点で、今月も60kmまで走れたので、このペースなら今月は230km音譜

でも雨がねぇあせる

この時期、雨で外練習出来ない状況で、如何に体力を落とさないようにするかが重要だと感じていますビックリマーク

ただ、自分は過去二年続けて、梅雨に喘息でダウンしているので・・・

この時期だけは、凄く慎重に行かねばあせる

ランのペースも上げ過ぎると呼吸が荒れて、また喘息に繋がるんじゃないかと・・・

いつもと同じことをしているのに、この季節は本当に自分への信用度ゼロです(><;)


ちなみに肺炎で入院していた祖父は回復して、昨日施設に入所しました。

全く動けない状態なので、自宅には戻れないため、しばらくは施設でリハビリとなりそうですあせる

最近、急に弱ってきて、物忘れなど症状が酷いですが、自分の顔は覚えてくれているみたいです。

毎回、自分の顔を見ると、『いつ走るんなビックリマーク練習しよんかはてなマークどこ走るんなはてなマーク

質問に対して、良い報告が出来るように精進したいと思います(笑)



さて、本日はそんなランで巡ってきた城跡報告です音譜


鬼神岳城(きじんがたけじょう)

凄い名前に迫力のある城跡です(笑)


まずは全体図から。




【鬼神岳城跡解説音譜】 ※別名:宅宮(えのみや)城

築城年:詳細不明ですが、天文年間には、三好家の河南吉清が城主となっています。

城主:河南吉清(かわなみ よしきよ)

城跡形態:平山城



城跡は、以前に紹介した英(はなぶさ)城 の近くに位置します。

所在地は、徳島市上八万町になります。





北西側が園瀬川に面した崖となっています。

そこは絶壁となっていて、鬼神が淵(きしんがふち)と呼ばれる淵になっています。

ちなみに城跡(標高50m)への登り口は、現在は民家の敷地となっておりますので、断らないと登ることが出来ませんあせる





園瀬川対岸(西側)からの遠望。






国道438号線沿い(東側)からの遠望。


城跡としては、なかなかに魅力的な場所に築かれていますが、何せ立ち入れないのが…無念あせる



【鬼神岳城に纏わる物語り音譜

城主である河南吉清は、出自は信州小笠原氏となります。

三好家が支配している時代は、一宮城主である一宮成祐(なりすけ)と親交が深く、友または陪臣であったものと考えられます。


一宮成祐は、長宗我部元親が阿波侵攻を開始すると、当時の主君である三好長治を早々に見限ります。

これには、経緯がありますが、一番の理由は三好長治が忠誠心に厚かった、篠原長房を上桜城に攻め滅ぼしたことに失望したためと思われます。

上桜城合戦の関連記事はこちら になります。


茨ヶ岡城(那賀郡那賀町)にある細川真之(さねゆき)が、長宗我部元親に味方すると公言したことに立腹した三好長治は、勝瑞城を出陣し、細川討伐に向かいます。

これを見ていた一宮成祐・河南吉清も今が好機とばかりに、長治の背後を襲います。


まさかの反旗に驚いた長治は、急ぎ兵を引き、勝瑞城へ撤退しますが、長治を慕う家来はすでに近臣以外におらず、撤退中にも相次ぐ離反にあい、松茂町招魂神社(阿波踊り空港付近)にて、自害して果てたと伝わります。


結果として、長宗我部元親の阿波制覇に助力したことになった、一宮成祐と河南吉清でしたが…

天正10年(1582年)5月に、当時四国制覇を目指していた織田軍に降伏します。

その僅か1か月後に、本能寺の変により、織田家当主である信長が倒れると、織田軍の先鋒を務めていた三好康長(やすなが)が急ぎ上洛します。


元親は、好機を得て、織田家に降った諸城を奪還します。

そして…

裏切った一宮成祐・河南吉清らを夷山(えびすやま)城へと誘き出し、謀殺してしまいます。


夷山城記事も取材済みですので、またアップします。


こうして、元親の手により、鬼神岳城主であった河南吉清は、殺害されて城も長宗我部家の支配するところとなりましたが、秀吉の四国征伐で、元親が土佐へ撤退したため、廃城となります。




歴史は、時に凄まじく残酷です。

現代も残酷ですが、仕える主君を過っても、転職などの手段がありますが(笑)

昔は、一つ間違えば殺さることもありますので…



ここにもそんな歴史の1ページが残っていました。



国道438号線沿いの徳島県立文化の森総合公園近くにある『金剛光寺(こんごうこうじ)跡』の石碑です。

ここは、長宗我部元親の阿波侵攻により焼失し、そのまま廃寺となったと伝わります。





今では、一面の畑が広がるのみです。


歴史から学ぶことは多いです。

どんな悲劇も同じことを繰り返さないための教訓にしなければダメですね。。。


いろいろと感じることが出来た一日でした。