本日は、東日本大震災から四年になるんですね。。。
四年も経つのに![]()
まだ進んでいるとは言えない復興。
四年しか経ってないのに![]()
もうあの恐ろしさを忘れてしまいそうになる日常。
被災地の方々のご苦労を思えば、なんて平和な毎日を送っているんだと、心から感じます。
昨年は人生で初の東北旅行にも行き、少しだけ東北地方に近付いた気分になりました。
他の方のブログ拝見してもありましたが、今年も東北地方へ旅行することが、東北地方への力になれること。
自分も友達や家族と少し東北旅を検討しようかと思います![]()
そんな本日は、会社で朝の管理職ミーティングが終わり、仕事場に向かうと…
部下同士が一触触発の状態で、声を荒げているではありませんか![]()
(自分)『どしたん
何があったん
』
(A君)『朝の清掃は必須なのに、一部の人間がしない
』
(B君)『人によって仕事のボリュームが違うんやけん、柔軟に行けば言いやろ
』
どちらも正論なので…
自分が、どっちかの肩を持つと、話が余計にややこしくなるし、味方された方が優越感に浸ってしまうので。。。
(自分)『B君には朝にしておいてと、業務を振っておいたんよ
なので、朝はA君のグループが担当してくれん
』
『代わりにB君は朝の業務が終わったら、昼にもう一回清掃して
』
『80人が一斉に同じ時間に掃除すること自体が不自然やし、頭冷やして、もっと冷静にせな
』
(A君)『でも毎日だいたい決まった人間しかしてません
』
(B君)『道具が限られてるんやけん仕方ないやろ
』
話の規模は、非常にしょうもないですが![]()
これも日常で、お互いが感じていることが鬱積してのこと…
今すぐ冷静にさせるには、これしかないと。。。
(自分)『議論は良いけど、ケンカはダメ
それが分からん年齢ちゃうやろ
もっとマシな議論しいな
』
『二人ともに期待しているけん、自分の下で、それぞれリーダー張らせ取るのに、こんなんで冷静さ失って時間無駄にするなら、外れてもらうよ
』
『とにかくA君のグループは清掃
B君のグループは業務が終わったら、自分に連絡
』
『二人で今後のやり方を自分に報告すること
ケンカしたら承知せんけんな
』
80人のボスの特権を利用しました(笑)
で、10時過ぎに二人を交えて、今後は週交代で清掃すること。
清掃したら、名前を記録すること。
リーダーである二人がグループ40名ずつの名前が記載されていることを確認して、自分まで提出すること。
自分もそれを確認して、漏れがない事を確認して、未然に戦争を防ぐことで、ひとまず決着![]()
また仕事が増えましたが、歴史上の戦争もこんな小さな争いから始まっていることが大半です。
未然に摘み取ることが自分の仕事ですので、今日は午前中は、部下の統率に力を費やしました![]()
昼からは、部長への報告資料をメールで提出したら、メールで返事くるかなと思いきや…
わざわざ自分のところまで来て、1時間マンツーマンで、指導![]()
騒がしい一日でしたが、明日は課長への報告会![]()
金曜日は、会社のご重役との定例会![]()
自分より年上の方は、若造にポジションを奪われていることに何とも感じていないのが、また腹立たしいんですよね![]()
では本日の本番に行きましょう![]()
本日は、切幡寺・切幡城跡から、東に約1kmほどの位置にある細川家の本拠地である秋月城跡になります。
まずは全体図から。
青囲み部分が秋月城跡になります。
前回の切幡城跡記事はこちらになります→http://ameblo.jp/4451777/entry-11999547108.html
【秋月城跡解説
】
築城年:建武三年(1336年頃)
城主:細川和氏
城跡形態:平山城
秋月城跡は、阿波・讃岐へのほぼ中央部に位置する要衝の地であり、足利尊氏からこの地を任された細川家の思い入れが一際強かった地と推測できます。
しかも北には、阿讃山脈を背負い、攻めるに難く、守りに適した場所だと言えます。
細川家は、足利家がまだ後醍醐天皇と権力争いをしていた当時から、足利方に助力していた功もあり、足利尊氏が将軍となった後は、四国総代・四国管領と呼ばれるまでに権力を与えられていました。
元は足利家の縁戚であったと伝わっており、阿波を与えられる前から阿波守を名乗っていたと伝わります。
このため、元々この地に根付いていた豪族である秋月氏に迎え入れられて、阿波支配を強めていったと思われます。
それを偲ばせる内容の石碑が立っています。
秋月氏にこの地へ手厚く向かい入れられた細川氏は、幕府の四国司令部(軍府)を開き、阿波の政治の中心となります。
足利尊氏が九州地方から、大軍を率いて、上洛を目指すとこれに呼応して、水軍を率いて、湊川に渡り、新田義貞軍を翻弄します。
これにより新田軍は、細川軍を追撃したため、孤立した楠木正成軍は、足利陸上部隊に打ち破られて、足利軍の勝利に貢献しました。
そんな室町幕府開幕に貢献した偉大な細川家の秋月での歴史も、やはり地理的な条件なのか…
和氏の孫にあたる、三代目の細川詮春(あきはる)が、中央政権に進出するために勝瑞館へ本拠を移します。
秋月城が中心となった政治期間は、わずか二十七年と短かったと言われます。
近くには、当時のものと思われる水掘りも一応残されています。
この水掘りは近くの明神池に流れ込んでおり、いざと言う時には、水不足にならないように対策が練られていたと考えられます。
今では、秋月城跡から見渡せる景色は、基本のどかな農村です。
切幡城跡と同じ兵どもが夢の跡ですね![]()
細川氏が在籍した期間は、僅かでしたが、その間に切幡寺をはじめとして、多くの寺院が整備されて繁栄します。
しかし、細川氏が勝瑞城へ本拠を移してからは、衰退しますが、それでも秋月氏が何とか地元に根付いて脈々と歴史を受け継いできます。
結局、細川家は、管領にまで登り詰めながら、阿波で誇った権勢を家臣である三好長慶に奪われ、追放されて終焉を迎えます。
考えてみれば、阿波の将兵達は、足利幕府の要請で、細川家に従い出兵し、細川家が管領職争いを山名家などと起こすとこれを助けるために出兵し、さらにその細川家に反旗を翻した三好長慶に従い、また出兵し、三好家が長宗我部家に攻められると攻防戦に巻き込まれてと。。。
気の休まる時が無かったと思います![]()
でもこれだけの軍事行動を起こせるだけの財力があったことは確かだと思いますので、阿波出身の大名はやはり優秀だったのかな![]()
自分としてはそう感じています![]()
明日も忙しいですが、阿波の将兵の如く、良き働きができるように頑張ります![]()






