風が冷たくなりましたね~
全国的に大荒れの天気となる予報が出ている明日。。。
皆様、お気を付けください。
さて本日は、赤穂散策第二夜です![]()
第一夜はこちら→http://ameblo.jp/4451777/entry-11964990141.html
第二夜のスタートは、四十七士の銅像から![]()
先に断っておきますと、今回の銅像紹介は三名のみでお許しください![]()
堀部安兵衛像![]()
この方は忠臣蔵の物語の中でも有名な方なので、ご存知の方が多いですかね![]()
かの有名な高田馬場の決闘の主役です(≡^∇^≡)
高田馬場のお話については、またの機会にo(^▽^)o
何せ、戦国時代が遠い昔となり始めた、江戸中期において、武勇で名を馳せた豪傑です![]()
吉良邸討ち入りでも、吉良家の剣客である清水一学との一騎打ちが描かれることがあります![]()
大石主税像![]()
この方は大石内蔵助の嫡男であり、元服したばかり∑(゚Д゚)
今で言うと16歳。高校生ですよ~
刀でサムライが生きた時代では当たり前かもしれませんが、自分が16歳だった頃を思い出すと。。。
ただただ尊敬です。
そして昨日も載せましたが、大石内蔵助像![]()
言うまでもなく、吉良邸討ち入りを決定した忠臣蔵の主人公なわけですが。。。
その人柄は、穏やかな人だったと言われています。
主君 浅野長矩とは、親子ほど年が離れていたそうです。
長矩は、朝廷勅使の接待役という大役のため、江戸詰め状態でしたので、国元である赤穂の留守を任されていました。
そこに、いきなり長矩が切腹したとの使者が∑(゚Д゚)
共に赤穂の地で過ごした時間は決して長くは無かったのでしょうが、それでも実の息子にも等しい長矩に即日切腹の沙汰を下した幕府へのやり切れない想い![]()
なぜ、そうなったのかを近臣に弁解する間もなく自害させられた長矩の無念![]()
大石内蔵助の胸中には、去来するものが多くあったと思いますが、国家老という重職で軽はずみな判断は出来ずに赤穂城開城の判断を下したと思います。
解説はひとまず置いておいて。。。
大石神社に参拝![]()
国家【君が代】にも歌われている さざれ石です![]()
【ちょこっと解説
】
さざれ石とは、一つの石が周囲の小石と一体化していき、一つの岩石へとなったものだそうです。
ちなみに大石神社に奉納されているものは、徳島県海陽町から届いたものだそうです![]()
世間は広いようで、狭いなぁ~
確かに、徳島県阿南市~高知県室戸市までのおよそ100kmの海岸線は、数万年前の地層が残っていることで、ジオパークに指定されているので、独特の地層が残っているそうです![]()
話がずれましたが、忠臣蔵のお話へ修正ですσ(^_^;)
義芳門![]()
後醍醐天皇に忠誠を尽くした楠正成公をお祀りしている湊川神社の神門を移築したものだそうです。
楠正成公の後醍醐天皇への忠義。
赤穂四十七士の主君への忠義を結びつけたのだと思われます。
大石内蔵助の屋敷跡です。
ここに穏やかな人柄の中にも、主君への熱い忠義に溢れた武士が住んでいたんだなぁ~
と、とても感慨深い気持ちになりました。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
四十七士が眠っておられる花岳寺(かがくじ)です。
昔の漢字では、華巌寺と記すようです。
今は四十七士が静かに眠っておられますし、何せ人が多くて、みんな写真をパシャパシャ撮るので、自分は控えさせていただきました![]()
ただ、こんなところを発見![]()
織田家家臣である森可成(もりよしなり)の子孫が、浅野家断絶の後で、藩主となりましたので、その歴代のお墓になります。
森可成と言えば、信長協奏曲で『愛称:もりりん』ですっかり、有名になりましたね![]()
まずは子供行列から![]()
この日は最高気温が5℃![]()
まさに凍える寒さでしたが、子供たちは、半ズボン(袴)姿でした∑(゚Д゚)
間違えなく自分は死にます(笑)
その後は山車が練り歩きます。
まずは、松の廊下のワンシーン。浅野長矩が吉良上野介に切り付けるシーン。
次に浅野長矩が、お預けになった田村邸で切腹するシーン。
そして、赤穂藩取り潰しが決定後に開城するシーン。
大石内蔵助が堀部安兵衛などから、一刻も早く主君の仇を取るべきだ![]()
と、再三に渡り、書状を送られながらも時節を待って、世間を欺くために京都の山城で遊び呆けているシーン。
これに愛想を尽かした過激派浪士は、内蔵助を殺して、自身達のみで吉良邸へ討ち入ることを画策しますが、内蔵助はこれを何とか説得し、吉良が必ず屋敷にいるタイミングを見計らっていました。
そして、いよいよ内蔵助も京都から吉良の居る江戸へ登る決意をします。
ここで妻子との今生の別れのシーン。
そして本懐を遂げて、勇ましく吉良上野介の首を掲げて、主君 浅野長矩が眠る菩提寺である泉岳寺へ向かう四十七士。
ちなみに大石内蔵助役は、松平健さんでした![]()
残念ながら、人・ヒト・ひとで身長の小さい自分には、上手く撮影できませんでした![]()
【最後にちょっこと解説追加
】
途中で説明したように、大石内蔵助は穏やかな人物だったようです。
しかし、主君が弁明の場も与えられずに切腹させられた現実に幕府への疑念は大きかったと思います。
それでも、まずは播州浅野家再興を考え、長矩の弟である浅野大学を藩主とするように幕府へ願い出ますが、初めから浅野家の取り潰しが狙いであった幕府が認めるわけもなく。。。
夢を断たれたうえに、流浪の身に耐えかねて、自殺や脱落していく同士に心を痛めて、いよいよ吉良邸へ討ち入り、幕府への抗議の意を含み計画を実行します![]()
自分が一番泣いたのが、この討ち入り前の浅野長矩の奥方との別れのシーンです。
幕府の沙汰が間違っていることは、誰が見ても明らかでした。
雪の降る中、討ち入りの血判書を携えた内蔵助は、浅野長矩の奥方の元へ挨拶に出向きます。
奥方は当然、討ち入りの決意を打ち明けてくれるものと期待していましたが。。。
ここで内蔵助は、別の家中へ仕官することが決まったことを伝えます。
奥方は恩を忘れた不忠者と内蔵助を罵り、どこへでも行けと言い放ちます。
しかし、これは内蔵助の芝居で、敵の患者が潜り込んでいることを見抜いて、心に無いことを伝えました。
その後、浅野長矩の奥方の侍女に討ち入りの血判書を渡し、屋敷を出た内蔵助は、雪降る門前で頭を下げて、今生の別れを告げます。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
その後、血判書を受け取った浅野長矩の奥方は、内蔵助の忠義に、ただひたすら頭を下げて涙に暮れます。
もうこのシーンは、忠臣蔵でもっとも泣けるシーンですよね~
その後は語るまでもなく、見事本懐を遂げた四十七士は、各々大名家にお預けとなり、幕府からの沙汰を待つ身となりました。
幕府内でも、判断は分裂したようです。
武士の鑑である浪士を罰する断じて認めぬ
と、抗議するもの。
幕府の沙汰に逆らい、仇を討つなど許さぬ
と、厳しい処罰を提案するもの。
庶民たちは、この話に感激し、浪士を許すべきとの声が圧倒的でしたが、結局浪士達は全員切腹の沙汰が下りました。
仇を討つ![]()
そう決めた時から浪士達に命乞いする気持ちなど無かったのでしょうが、やはり今を生きる自分が考えても徳川幕府の決定には、非常にがっかり←正直役人なんてバカでもなれる![]()
言葉が過ぎましたが、そんな気持ちになりました。
やっぱり忠臣蔵は最高のドラマですね![]()
ちなみに忠臣蔵とは、関係ないのですが、今回は他にもイベントがありましたので、明日おまけで載せますね![]()
では、長くなりましたが、皆様。
また明日で![]()




















