おとうさんは、一年間の入院生活を経て
先月、11月に旅立った。
窓から燦々と入る朝陽を、細い体に浴びながら、
まだ温かいおとうさんを、家族で綺麗に拭いた。
2010年4月に認知症を発症してから、10年と半年。
いろんな事があったなあ、、
と考える間もなく、亡くなった直後に葬儀社に来てもらって段取りなどが進む。
入院してすぐに、病院の先生から延命治療の話をされていたので
この日が来ることは、心の整理はついていた。
冷たくなったお父さんを前にしても、ドラマみたいには涙はなかなか出てこなかった。
お通やの前日、おとうさんと二人きりになった時
じぃーっとおとうさんの顔を見てた。
ああ、おとうさん、本当に死んだんだなぁー
やっと実感が沸いてきて、だんだん涙が溢れて。
と同時に
急に眠気がやってきた、かと思ったら、、、
『わ~~っっっっっ』
お父さんは、目を開けて私を驚かしたーーーーーっ!!!!!
『・・・・・・』
次の瞬間、もう目を閉じて黙ってるお父さんだった。。死んでるからね。。
夢みたいなものだったのか。いやにリアルだった。
えーーーっ?ドリフ?
志村けんのコントでこーゆーのなかった?って、すぐ思って爆笑した。
二人だけの大きい部屋に、私のバカ笑いが響いた。
「ちょっと~~」って思ったけど。
シリアスになるような事じゃないさって励ましてくれた、、気がしてる。
まあ、励まし方がナイスセンスだわ。最期の最後にやってくれたよ!(笑)
おとうさんは、こんな人だったんだ。
お父さん役、夫役、兄役、上司役、昭和の男役、
沢山の「役割」から自由になった、ピュアな人格は、
こんな、お茶目で優しい人だった。
10年のこの期間、お父さんから、何か大事なものを渡された気がしてる。
ストレス解消の目的でほぼ誰にも教えずに始めた、このブログ。
偶然が重なって、これが基となった脚本を書き、演劇となり、 観た方のつてで
認知症の講座にも呼ばれ、再演することもできた。
心に描いたことは、「私の体験をなにか形にして伝えること」 ただそれだけ。
それが、沢山の人に助けられ、私の想像を超えたところで、夢が叶った。
観た人の心に何かが残ったら、さらに嬉しいな。
おとうさんから渡されたバトンを、これからどんな形になっていくか解らないけど
私が誰かに、知らない誰かでもいいから、渡していくんだ。
縁。えん。
私の名前は淵。ふち。淵は、「えん」とも読む。
このバトンは多分、先祖からのバトンだと思ってる。
私のあたまでは、「そんな、なんか重苦しいものとか好きじゃないよ。」
って思うけど。
中学生の頃、いつも死ぬことを考えていた。
おとうさんから、大人達から傷つけられたと思ってた。恨んでた。
でも死ねなかった。死なせてはくれなかった。
『繋ぐバトンがある』
未来の私が あの時の私に、そう呼び掛けてたんだろうな、きっと。
今日は、12月21日。
陰極まれば陽と転じる、冬至の日に。