目眩がする。
ドストエフスキーの小説みたいだ。
ぐるんぐるん回る感情の終着点はどこか。
幼稚さがもたらす暗雲。くらくらする。
安部公房の短編に、身に覚えのない遺体が部屋にあって、それをどうこうしようとするうちにどんどんとその人を殺した犯人のようになってしまうという話があった。安部公房のこういう秀逸さが好きだ。
人は点と点をすぐに線で結ぼうとする。
それの方が理解しやすくなるからだ。思考が幼ければ幼いほど、“こじつけ”を求める。
でも現実は点と点がつながらないことの方が多い。
それを安部公房は綺麗にまとめて物語りにしてくれる。そこが好きだ。
くだらないやり取りの行く末は何処だ。
「私、選挙行ったことないもん」
とさも自慢気に言う彼女と、
「選挙には必ず行ってるよ」
と鼻高々に言う彼女。
そこに差はない。
何が違うじゃない。同じだけ何も知らないのだ。世の中の上澄みを啜ることを求められて、思考力や直感を鍛えることを否定されてきたわけだから、みんなこんな風になるのだろう。
“衣食足りて礼節を知る。”
という言葉を近頃噛み締めている。
ネットミームになってる“無敵の人”はまさにこれよな、と。
衣食が足りないってのは貧しさの象徴だ。
豊かであれば愚鈍な人も考え成長する時間を確保できる。でも貧しいとそうはいかない。
即断即決を迫られて、そして間違える。
間違えて、間違えて、もう後戻りもできなくなる。
全部捨てて、でも己の満たされない欲求だけは捨てられなくて、誤った方向へ力を振り絞る。
“無敵の人”の誕生だ。
誰が誰を責められるっていうんだ。
みんなほんの少し、0.01mmでも踏み間違えれば同じことをしていたはずだ。
だから自分にナイフを突き立てながら現実について考えなくちゃならない。
少しづつ狂っていく社会に無力に見えようとも抗っていなくちゃいけない。