“一致団結”
“国民総出で”

などの言葉をここ数日よく見ますが、薄気味悪いですね。

“今はそんなことを言ってる場合じゃない”
“政府も大変なんだ”

そんな意見を見ると違和感がすごい。
なんだこの違和感は…と、思ったら、怒ったり喧嘩した時のなだめられたり、もしくはなだめている人への違和感にそっくりだなと思った。


もちろん、怒ることや喧嘩することが良いことだとは思いませんよ。

ただ、失礼なことをされたり、悪意あることをされた時に正しく怒ることはとても大切なことだと思う。

“怒ること”それじたいを空気が悪くなるとか、何の解決にもならないとか、何かしらの理由をつけて封じ込めることは薄気味悪い。

我慢する美徳、耐え忍ぶ美学、その全てを否定する気はないけれど、それが全て正しいとは思えない。

“和をなす”ということの意味が“同調圧力に屈すること”になってる感じがたまらなく違和感。

明るく前向きに力強く生活していくことは大切ですが、その活力の源が世のため人のためと謳った同調圧力によるものだったら、なんとも皮肉ですね。

善意の皮を被った傲慢な心が世を覆うというのは、私は好きじゃありません。



みんな、仲間、協力、団結、絆…

どれもこれも好きじゃない言葉です。

でも元来の意味(意図)で使われれば好きな言葉です。

こんな気持ち悪さを感じずにいられたらどんだけ楽かなぁなどとたまに考えます。