丸写し的な部分から
Ψ( ̄∇ ̄)Ψ

結局はそこに行くための道

最近、自分の周りで人生の幕を閉じる人が続いていたためか

人生の終わりについて色々と考える事がよくあります。

当たり前といえば当たり前なんだけど

最後はお金も肩書も地位もすべて意味がなくなるのですよね。

結局、私たちって

この身ひとつで生まれてきて、最後の瞬間にはこの身ひとつで

この世を去っていくのです。

という事は、

生まれたときには、ただ在るという感覚だけだったのが

成長するにつれ、その感覚を忘れ

親や周りの人、周りの物や環境との関係、そして言葉によって

自分というものを作り上げていきます。

そして、資格や肩書、地位やお金などなど様々なものを身に付けることで

自分と他を区別し明確にしたり、強化することで安心を得ようと頑張ります。

ただそれがそのままそれで終わればいいのですが、

人生の終わりを意識する年齢になってくると

これまで身に付けてきたものが人生の終わりに対しては全く意味をなさず

どうあがこうがすべてを手放すことになる現実をうすうす感じ始めます。

それはすなわち、私というものも含め、すべてがかりそめの姿なんだと

気づき始めるのです。

するとこれまで必死に手に入れてきたものがかりそめだとわかると

初めて我に返り、

じゃあ、自分って何なんだと

これまでやってきた関係性や概念で作った自分ではない自分を探し始めるのです。

そして関係性や概念的に作ってきた自分を除外していくと

そこには言葉では説明のできない、今ここに存在しているそれ以上でも以下でもない

意味があるとかないとかでもない、私という存在にたどり着きます。

でもこれって生まれたときに感じていた、ただ在るという感覚なんですよね。

ただ在るから始まり、ただ在るで終わる。

結局はそこに戻るための道なんですかね。

ってこれから始まりだから‼

スタート地点投げKISS

でもこの意識があるかないかの差は大きい♪ヽ(´▽`)/

ヨシ‼まだいける(ノ´▽`)ノ

ちょっとこのままグルグルしそうな気もしないでもないけどぶー

これからさヽ(´ー`)ノ

今は「私は可能性しか観ないから」と言いきる方の言葉を採用しとこうヽ(´▽)ノ♪

これは自分で気づかないと分からないけど自分って何なんだこれがポイント( ̄ー ̄)

ここ数年の間に出会った人の中に宗教から抜けれたと嬉しそうに話してくれた方が神って?じゃあ私は?と思ったのが抜け出せたきっかけですと教えてくれたしね( ̄ー ̄)

この年になると若い頃から集めた絵や石をどうやって処分しようと思って始めてるくらいだからもう買わないけど、若いうちは何でもやってみたらいいってそれが若い証拠だと言ってたな(笑)

でも絵は見たら欲しくなるからお店自体に行かないだって投げKISS

何か「昔はお母さん嫌いって言ってた娘が今のお母さんは好きって言ってくれます」と何よりも嬉しそうに話してくれた(*'∀`*)v

でもまだ主人は宗教してますボソ・・・
すみませんと謝ってくれたお~

今、私に?」頭さげてくれたような気がヾ(゜0゜)ノ?

この時は3人でお茶してたんだけど〇〇さんから初めて聞いたわそんな話とこの時も言われたけどこういうの多々あるな
ヘ(≧▽≦ヘ)♪
思えばこの時の方って2人とも初対面だったんだよねじぃ~人見知りのくせにわりとチャレンジャーだったりもする投げKISS

ヨシ‼まだいける(ノ´▽`)ノ

いつかこの時の話も書いてみよう(*'∀`*)v


そうそう、数年前に髪の毛で思い出した笑ったブログ覗きに行った時、分かりやすい内容でとても大切だと思える話も発見して嬉しくなった(*'∀`*)v

この為に来たんだなって思ったし長くなったから髪の毛で笑った内容は省略Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
これも実はたまにあるべえ言おうとしてやめたり、でもまた機会が来るのさ(*'∀`*)v