☆浜田と言えば、金吾で〜す
恐ろしく高音で唄う人。
時は1980年代初頭、今回のタイトルは彼のデビュー当時のキャッチフレーズ。 小生はこの当時は中坊だったから知る由もない。
浜田省吾はもうとっくに先を走っていたから名前からして本名がこれだけ被ったらタイトルのキャッチフレーズは頷けなくはないが、もうちょっと何とかならなかったのか?
メジャーキー主体の如何にも…の都会を舞台にしたラブな感情を甘くて切ないメロディーに乗せる、或いはちょっとダークにブラス編成がマイナーキーをアップテンポに迫る。
背景は都会であり、すいた惚れた、くっ付き別れ、別れそうで別れない、くっ付きそうでくっ付かない💦
そんな男女の恋愛模様を当時最新鋭の音をアナログに記録する。
来たるデジタル時代はもう始動していたが一般的に流布するにはあと数年掛かる。
だから、この頃はアナログ時代最高音質だったんだと思う。
そんな時代にナイーブな心情をこれ以上ない程の甘さと最高の音質で聴かせた浜田は(現在は濱田表記)1974年にフォークグループ Craftに参加、1978年に脱退し小杉理宇造や山下達郎らとA IRレコードを設立。ソロ活動と同時代のアーティストへの楽曲提供に勤しむ。
提供アーティストは90組に及び、西城秀樹、やしきたかじん、Hi-Fi-Set、太田裕美ほか志穂美悦子や中江有里、レイジーといったアイドル系から桃井かおり、松原みきといったシティポップ系アーティストまで多岐に亘っていた。
1981年2月、セカンドアルバム「Gentle Travelin'」をリリース ♫裏窓 が話題を集める。
同年4月、佐野元春、杉真理、網倉一也らとJAPACON始動(Japan Contemporary Sounds)。
1982年5月、Moon Recordに移籍。
4thアルバム「midnight cruisin'」リリース
♫横顔のタクシードライバー がFM番組テーマで使用され話題に。
1983年8月、5thアルバム「MUGSHOT」リリース
3曲目の♫RAINY HEART は秋元康の作詞、編曲は佐藤博。秋元は若い時からシティポップを支えていたのがこの仕事で分かる。
アレンジの佐藤はブラスロック調でシャープな音像に仕上げている。
1985年3月、6thアルバム「Heart Cocktail」リリース、わたせせいぞうのイラストがジャケットを飾り話題に。永井博、鈴木英人、わたせせいぞうはレコジャケ界シティーポップ三羽烏と呼ばれる。
8曲目♬ 昼下がりのセレクション 穏やかでラフな楽曲にホッと一息つける。
1985年10月、7thアルバム「Fall in Love」リリース
3曲目♬ 心のままに Once Again 一番組んでいる小林和子の安定の詞。アレンジの松下誠はこのアルバムでも濱田とアレンジを二分する。コーラスアレンジも得意だがこの曲では濱田が手掛ける。松下は山下達郎の信頼している伊藤 広規や青山 純らと活動していた時期もあり、濱田同様山下達郎人脈と言える。
2001年9月、初台"Doors"にてMoon Kidsライブ 村田和人、松下誠らとMoon Kids 結成
2014年 Craft に再加入 現在に至る。
現在はクラフトのライブ活動が中心でリーダー三井誠などと共にマイペースなライブ活動を展開。
ライブの数が少ないせいか、今でも人気は高く、昨年の代々木のGreen Spotでのディナーライブはソールドアウト となっている。
殆ど表に出て来ない人だから少し詳細にプロフィールを書き込んでみた。
小生は一昨年、都心のHMVのアナログショップやディスクユニオンで集中的にこの人のLPを買い漁り、あっという間に1stから7th迄のアルバムが揃った。
特に1stから5thまではシティーポップの紹介本などには屡々紹介されたが、中でも金字塔の誉れが高いのはやはり、5thの「MUGSHOT」で有ろう。
内容、ジャケット共にNICEなSense✨
6、7thは5thの余韻で作り上げたとも言え、更なるヒットを模索して人気イラストライターわたせせいぞうによるオリヂナルイラストが施されている。
濱田のオリヂナルアルバムは7th以降作られていない。濱田はアルバム制作よりライブ活動にシフトしてしまったかのよう。
彼の全盛期は間違いなく80年代前半だったが、たは、さ1980.6.21リリースのファーストアルバムに先行してアプローチされた2ndシングル♫Hotel Surf- Riderを聴いて頂く。
松本隆の、彼でなければ表現出来ない最高度の詞の世界だ。
B面は♫LONLY WIND は、竹内まりやが同時期のアルバム「LOVE SONGS」でカバーしているほどの佳作である…やはり、良い歌だ。
結論は…
浜田と言えば、金吾です!