☆レッドニコルスと四人の木管奏者

   レッドニコルスはジャズ勃興期の1924年以降コルネット(トランペットの小型楽器で音色はトランペットを丸くしたような音色が特徴)奏者兼バンドリーダーだが、彼が1924年にプライベートレコードを出した時に選んだ曲は♫Jazz Me Blues   だった。
   同年にThe Wolberins   の同曲のレコードがリリースされて世のジャズミュージシャン、特に白人奏者たちの間でここで聞こえるコルネットプレイはスゴい…と評判だったからだ。
   ウォルベリンズのコルネット奏者ビックスバイダーベックが初めて脚光を浴びた瞬間だった。
   レッドニコルスにはこの頃は既にバンドリーダーを張れる程の地位に上がっていたにも拘らず後からデビューしたビックスみたいな青年に簡単に感化されてしまうところがあり、これが彼の人生のメリットデメリットを左右する事になる。
   しかし、本人はそんな論評など全く意に介さず陽気にブンチャカ出来ればそれで良かった。


   1958年のハリウッド製彼の伝記映画「5つの銅貨」でも語られていたが、彼のバンドファイブペニーズはレッドやビックスらとさして年齢の変わらないミュージシャン達の絶好の売出す場であった。


   レッドも率先垂範してそんな彼らを後押しした。
   編曲では必ず新進気鋭の奏者たちにソロを取らせた。
   この采配が後にレッドを復活させる原動力となる。
   今回はクラリネットに絞りレッドニコルス楽団でソロパートを任された4人の奏者たちの見事なプレイをご堪能頂く。
  
   先ず筆鋒は ジミードーシー。


   弟のトロンボーンの奏者トミードーシーとほぼキャリアは変わらずアルトサックスとクラリネットを吹き分ける器用さは兄独自の才能である。
   曲は♫ザッツノーバーゲン
   編曲もこなす才人アーサーシャットのピアノに天才ギタリスト  エディラングの自在なソロワーク、ヴィックバートンのシンバルは素晴らしいアクセントとなってこのレコードの誰よりも目立っていた。


   お次の♫フィーリン ノー ペイン   ではクラリネットはシカゴ派からピーウィーラッセル。


   この人もビックスにより啓示を受けた。
   1926年にはハドソンレイクの近くでラッセルはビックスと過ごした夢のような日々を共有する。
   ビックスのソロフレーズを更に深く倍加したピーウィのソロはビックスがもっと長生きしていたらば、きっとこんな感じであっただろうと思わせる。
   独特の浮遊感はワンアンドオンリーで、この人のトレードマークでもある。
 何故キミはジャズが好きなのか?と問われたら私はこうした個性的なソリストが際立っているから、と答えるだろう。
 しかもそれらミュージシャン一人一人の個性はこうしたトラッド全盛期の方がモダンの時代よりも極めて強かったと言える。
   ラッセルはシカゴ派の重鎮でコンドンやフリーマンらとアイドル、ビックスの残滓を終生引きずった。


    ♫ノーバディーズスイートハート💓   はファド(飲兵衛)リビングストンのクラリネットと曲のアレンジの才に長けていて前曲の編曲も実は彼だ。
   さすらいのトランペッター、ウィンギー(片腕)マノン同様放浪癖があり土地どちのエキスに染まらず、セッションしては離れるそのスタンスはやがてソロワークにも反映されて、独特の土臭さを兼ね備えていた。
   あちこちに顔を出していたからか、例えばベンポラック楽団に在籍してベニーグッドマンとも共演したりもしていた。
   ジョウゼフ"ファド"リビングストンは1925年から1926年の1年間はデトロイトやシカゴに滞在してジャンゴールドケット楽団でジャズの知識を深めていった。
   ここでビックスに刺激を受けて全音音階に目を向けるようになる。
    そして、無類の酒好きでミドルネームに"ファド(呑兵衞)"と付けられた程だったがそれによりビックスとも意気投合した訳だ。
   生まれはサウスカロライナだが、シカゴっ子の気質ともうまがあった。
   1927年12月にシカゴアンズの有名な2枚分のレコードが吹き込まれて、その中には同じ♫ノーバディスイートハート   がラインナップされたが即興アンサンブルは旋律を並進行させたハーモニーを奏でるアレンジをものしていた。
   この時はクラリネット奏者フランクティッシュマーカーがアレンジを施したが、それから2カ月後にレッドニコルスたちが同じクラリネット奏者のファドに編曲させた同じ曲の録音でも、シャッフルリズム、イクスプロウジョン(爆発的即興演奏)、そしてファドのシカゴ風クラリネットソロと言う三拍子揃った演奏を聴いてシカゴアンズは自分達の影響力の強さを知ることになる。

   最後は主人公ベニーグッドマン!
   彼は1929年2月1日の録音からレッドニコルスの録音に顔を出すが、この時から同僚のグレンミラーも同時に起用される。
   又、ベニーが録音に加わると器用なファドはテナーサックスに回る。
   1930年7月2日録音の♫チャイナボーイ   は後世に伝わる名演となりベニーのクラリネット奏者としての名を一躍上げたソロが聴けるがその翌日録音された♫ザ シークオブアラビー   も名演の名に恥じない演奏である。
   曲の入り口でトレグブラウンが普通パートで歌い出すとすかさずジャックTガーデンが…待て待て待て!とストップさせてメロディーを崩してジャズる、と言うお約束アレンジはグレンミラーが施している。
   グレンミラーがストレートメロディーのトロンボーンソロを吹く上行ではTガーデンが奔放にトロンボーンソロを吹くと言う凝りに凝った編曲で楽しい。
   ジャズの醍醐味が端的に判る編曲となっていてTガーデンは後に独立してから以後、終生このアレンジでこの曲を吹いた。
 ベニーのソロもビックス譲りの起伏の激しいソロワークでバラエティ豊かな賑やかな演奏となっている。


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