☆BLUE : ベニーグッドマンズ ボーイズ 1928
ベニーは経営不振に苦しむベンポラック楽団を離れた後、アイシャムジョーンズ楽団の所にいたがダンスナンバー中心主義のアイシャムはアドリブを嫌った。
当時のベニーのアイドルはコルネット奏者のビックスバイダーベックだったから彼の即興の単旋律の流れに減五度、六度、九度、十一度や十三度の音、全音音階、増和音の響きを取り入れビックスの世界を再現させようと夢中になる。
それは、本日用意した二曲の♫A Jazz Holiday
このヴォカリオン録音で如実に示されたのはその前の月の23日にオーケーレーベルに於けるレッドマッケンジー、エディコンドンのシカゴアンズ名義で録音された四面分の録音の成功に刺激され、この時と全く同じ編成をベニーは画策する(グレンミラーがarr.をしている)。
ここでのドラマーはボブコンスルマンだったが、残りの顔触れはベンポラック楽団からかき集められた。
演奏はニューオーリンズの楽団風でもオースティン生風でもなく、その前年にビックスが入れた小バンドのレコードに直接刺激を受けた内容となっている。
この録音が浮き彫りにしたのは、シカゴアンズの内部亀裂である。
それは暫く前から徐々に溝を深め、すでに音楽そのものを二分するまでになっていた。
具体的にはマクパートランドやグッドマン、バドフリーマン(ts)ジョージウェットリング(ds)それから早逝してしまうクラリネット奏者フランクテシュマッカーらが一派で、ニューオーリンズの仕来りを離れて、もっと軽やかな、洗練された音楽に移行し、明快な演奏、高度なハーモニー、機知に富むメロディーを重く見る。
彼らの道しるべはビックスバイダーベックのモダンな作品だった。
片やジョーサリバン(p)メズメズロウ(cl)マグシースパニア(tp)はもともとルイアームストロングのブルースから出発したのである。
バドフリーマンが必要以上にルイアームストロングに敬意を払わなかったとすれば、スパニアの一派もビックスの真価を理解しなかった。
つまりは、それぞれの崇拝するアイドルが違ったと言う事であり、そこから互いに相容れない部分が生じたのだ。
評論家リチャードハドロックはそう解く。
もう一曲貼り付けたどうしようもなくやるせなくスロウに演奏される♫ブルー に於けるベニーの演奏だが、先刻語ったビックスイズムの典型であり、前半ベニーはクラリネットの最低音で運ぶが途中からアルトサックスに持ち替えている。
この時ベニーは完全にビックスが乗り移ったかの様なビックスの完コピをものしている。
ビックス自身もしばしば木管奏者から影響を受けたことから、ピーウィーラッセル、フランクテシュマッカー、エイドリアンロリーニ、ベニーグッドマンと言った後続、或いは同時代の木管奏者に強い影響を与える。
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