☆ケイティを待ちながら : ベンポラック楽団  1927.12 REC.
 


 前回この小稿で次回予告した内容と異なっていることをお断りします。




   ベニーグッドマンは経営不振に苦しむポラック楽団を暫く離れ、1927年にアイシャムジョーンズのところに移ったが、やがて古巣へ戻ってみると、申し合わせたようにジミーマクパートランドもポラックの一員に加わっていた。

若き日のBenny Goodman



   この2人は同年末に♫ウェイティン フォー ケイティ   と♫メンフィスブルース   を組み合わせたレコードで共演する。
   ブルースの方は不可解にもお粗末だったが、♫ウェイティン フォー ケイティ   はすばらしいバンド演奏を収め、その最終楽節では、ほとんど完成されたグッドマン(当時18歳)と、サキソフォン陣の進んだセクションワークが聞ける。
   この曲のポラック楽団は、ジャンゴールドケットの最良のバンドに肩を並べかけている。
   実際1927年としては、彼らはきわめて高い水準にあった。 
   その一番のソロイストがベニーグッドマンに他ならないが、彼の耳と指は、やや年上のオースティンの一派をはじめとして、ほとんどの同世代を追い抜いていた。
「スリーデューシズにたむろしてたのは、驚くほど才能のある仲間たちだった」と、ベニーは自伝に記している。
「けれど、たいていは譜面が苦手で、やることも雑に思われた。
   われわれは一緒にジャムを楽しんだが、さして気には止めなかった」

   リチャードハドロック著 諸岡敏行 訳「ジャズ1920年代」より

   ベンポラックはドラマー兼バンドリーダーでこのベニーグッドマン在籍時がジャズ的クオリティも楽団の華やかな時も絶頂期であり、スイング隆盛期(1935年以降)は、歌手ビングクロスビーの弟ボブクロスビーが楽団ごと買い上げた。
   そのボブクロスビー楽団は長持ちして1957年のレッドニコルズの半生を描いたハリウッド映画「五つの銅貨」にニコルズの若かりし日に在籍したダンスバンドと言う設定で出演していた。
   ベンポラックも1955年のユニヴァーサル映画「ベニーグッドマンストーリー」ヒムセルフ(彼自身の役)で出演、この♫ウェイティン フォー ケイティ   はこの映画でも効果的に使用された。

   ジミーマクパートランドは天才トランペット奏者ビックスバイダーベックの後を追いビックスが在籍したザ ウルベリンズの2代目リーダーとなる。
   そのスタイルをビックスから影響された彼は1931年の真夏に死去してしまうビックス亡き後の貴重なビックスのスタイリスト伝導師となりオースティン生らしく最終的にはエディコンドンのバンドを中心に活動、戦後まで息の長いキャリアで活躍した。



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