2018/3/11



あの


忘れられない


東日本大震災から



7年目。








あの日、


かぁちゃんは



小学校の1教室の



放課後の児童の居場所で


見守りスタッフとして


働いていました❗






数日前から


度々あった余震で




大きい地震が来るよ!!アセアセ


と 言っていましたが、





いつくるかなど


わかるはずもなく、





金曜日の


放課後、



週末なので


児童達は


体操着入れや給食袋


上履き入れなど




たくさんの荷物をもって


教室に


来ていました。





そこへ



大きな揺れガーン




慌てて


子ども達を



校舎の外へ


避難させました❗






校庭では




6年生が


サッカーの試合をしていて



あの揺れにも気付かず




邪魔者扱いをされてしまい


仕方なく


飼育小屋の回りに


固まって


子ども達をなだめていました。






誰も乗っていない


となりの公園のブランコが



大きな弧を描き




ビオトープの池の水が


バシャバシャと

外に出ていて


かぁちゃんも


とても怖かったのを思い出します。




支援学級の6年生だった


Aさんは

パニックになり、


「なんでこんなに揺れるんだよムキー


どうして地震なんかあるんだよムキー



と、




自分の頭を叩いていました。






かぁちゃんは



 ̄ ̄ ̄ ̄ A さん

大丈夫です。


みんなでいるから


大丈夫です。




Aさんも


時々

怒る事が


あるでしょう!?






地球も


きっと



怒っているのかもしれません。





静かに落ち着くのを


待ちましょう。




と言って





頭を撫でて





手を握りました。







これ以上


さわぐことなく、




他の子達も


よく

言うことを聞いてくれ




迎えにきた保護者に


児童を順次引き渡す事が出来ました。







しかし、



共働き家庭の児童も多く



保護者に


連絡しようにも


電話が通じませんでした。



午後5時まで


預かる事になっていたので


連絡の取れない児童は



チーフと一緒に


体育館で


迎えを待つことになりました。





それでも、


鍵を持っているから


家に帰りたい❗と言った子達は


スタッフが

自宅まで


それぞれ送って行き、



また


大きな揺れが


あったら



外に出て、




近所の大人の人に



助けて🆘!!って



言うのよ!!


と念を押して


言い聞かせました。






かぁちゃんは



電動アシスト自転車🚲だったので



いつも通りに帰れましたが、




遠方から来ているスタッフは



迎えの車が来るまで


夜おそくまで


体育館で待っていたり






大きな駅まで


頑張って歩いたそうですガーン





帰り道、


国道は


車はノロノロ運転で


歩道はスゴい人の波で


驚きました。



ヘルメットを被っている人、


防災頭巾を被っている人、



ホームセンターの



自転車売り場は


子ども用のものが


3台くらいしか


残っていませんでした。





途中のスーパーマーケットは


停電していて、



コンビニも


ほとんど



商品は無くなっていました。




やっと自宅に帰り



娘ちゃん達は無事、


長男くんも



なんとか


無事の連絡がとれ






ダンナさんが帰って来るまで心配でしたが



取り合えずは


みな


無事でした。






テレビをみるまで



あんな恐ろしい事が起こっていたなんて


想像も出来ませんでしたショボーン







忘れてはいけない


3.11





風化させてはいけない


大震災。




かぁちゃんの



体験記。