私の経験から言いますと、他人が私に苦言を言いましたが、黙って
聞いていても自分勝手な考え方に疑問が残る、全部他人の所為にして
自分は悪くないと言い出す言葉の裏には、寂しさでしょうかね。
孤独に、世の中が悪い社会が悪いと、自分の性格に気が付かない人に
人々が寄ってこない、来ていても遠ざかる事に叉悪口を吐き出す。
是では人々良友も出来ず、愛情の欠片も一生まれないでしょう。
原因は自分にある事に気が付く事だ、幾ら相性が合うにしても
我が侭放題では喧嘩になる、相性がすべてではないから注意。
夫婦でも、お互いの存在感が当たり前になって、日々の行動に欠陥
が生ずる事に心が離れていく。逆に長所を探し、短所に目隠しして
良い人間観を発見する努力が友情も愛情も次第に生まれる事になる。
「袖振り合うも多生の縁」「多少の縁」とは果てしない過去世から
何世にもわたっての縁の繋がり事を言う意味、人々の往来で袖と袖が
触れ合ったのが縁で、話し込みが、恋人に成ったり親友に発展が縁です。
実践で言えるのは、相手を待つより積極的に縁を温め育てる努力が必要です。



































