これから書こうとする内容を思うと今は暗い気分で過ごしている。仕事で毎朝駅に向かう途中で見知らぬおばちゃんと他愛のない会話を交わす俺が、今日に限って無言で通り過ぎてしまいたい気分である。そんな状況で「限りない欲望」について再度考えてみたい。結論から言おう。原因が「限りない欲望」で結果が「最後のニュース」である。
先日横須賀中央の展示スペースで見た子供の絵が思い出される。クジラが泣いているのである。お腹には多量のゴミが描かれている絵。前回「僕はやがて年をとり 死んでゆく 僕はそれをあたりまえと 思ってる それでも僕は どうせ死ぬなら 天国へ」の部分は、当たり前じゃないかと感じて特に触れなかったが、改めて聞いていると我々が滅亡へと進んでいるようだと聞こえてくるので思わず「大丈夫?」と叫びたくなるのである。
そう言えば、「いつかノーベル賞でももらうつもりでガンバッてるんじゃないのか」というノーベル賞を茶化すような歌詞が思い出される。科学技術の進歩や教育への貢献に対するノーベル賞や勲章の裏側で悲惨な状況も同時に生まれているのかもしれない。それらのことが賞賛に値するものであろうか。共存とかウイン・ウインなんて殆どウソっぱちだと言ったら言い過ぎかもしれないが。常に冷静な俺が支離滅裂になってしまったが。そうは言っても欲望を取り去ることは出来ないであろうから、矛盾を抱えながら生きていくのであろうが、幸せは不幸を土台として成り立っているという意識は脳ミソの片隅に留めておきたい。