今日は「ゼンマイじかけのカブト虫」について再度考えてみたい。前回この曲は「君の顔笑った なんにもおかしい事はないのに 君の目がこわれた ゼンマイじかけのカブト虫みたい」の部分から男女の恋愛が彼女の冷たい笑い顔で破局になったと気づかされたと書いた。しかしファンとの関係や今後の活動方針のようなことが語られているとも考えられるのではないだろうか。特に「青い鳥 逃がした 毎日毎日唄っていたのに」の部分は、陽水自身が歌えなくなるかもしれないと聞こえてくるようだ。
「カブト虫 こわれた 一緒に楽しく 遊んでいたのに 幸福に糸つけ ひきずりまわしていて こわれた 」。ファンの人達のことを考えずに自分勝手なことばかり歌っていてはだめだという自分への戒めか。「白いシャツ 汚れた いつでも気をつけて着ていたのに 雨あがり嬉しく 飛んだり はねたりして 汚れた」。今の人気に満足しないで、常にファンの反応に敏感になっていなくてはと。「鳥カゴをきれいに 掃除をしている時逃がした」。これまでに築いてきたイメージを裏切ってはいけないと。「君の顔 笑った なんにもおかしい事はないのに 君の目がこわれた ゼンマイじかけのカブト虫みたい 」。それらのことをちゃんとしなければ、直ぐに人気がなくなってしまうかもしれないと。
陽水のとても真面目な性格が現れている。アルバム「氷の世界」の大ヒットで一躍時の人になった訳であるが、「アンドレ・カンドレ」でデビューした頃の苦い思い出が忘れられないのかもしれない。また時代はグループサウンズ全盛が過ぎフォークブームが訪れていて、そのブームに乗っかっているだけだと思っていたのかもしれない。今後の活動方針のようなことを楽曲で表現しているのが秀逸である。
ただ1980年のコンサートで次のようにも語っている。「最近はラジオのレギュラーの仕事もやっていてすっかり饒舌になってしまいまして、イメージを壊された方もたくさんいらっしゃるかもしれませんが、来年はこの線でやって行こうかと」。この姿勢は最近の言い方ならメガデータの分析に基づいて活動方針についてPDCAサイクルを回していくということだろう。その後50年以上に渡って一線で活躍し続ける
ことができた要因のひとつかもしれない。
最後に昨日の面白い出来事を書いてみたい。朝起きて窓を開けるとヤモリがガラスにへばりついていた。気持ちが悪いので、追い出そうとしたがうまくいかず家の中に紛れ込んでしまった。探しだしている時間もないのでそのまま仕事に出かけ、後で検索してみると、漢字では「家守」と書きクモ、ゴキブリ、シロアリなどの害虫を食べる縁起の良い家の守り神であるとのこと。追い出さなくって良かったと思った一日であった。