今日は「夕立」の「洗濯ものがぬれるから 女はひきつった顔で わめきまわる ころびまわる 男はどうした事かと 立ちつくすだけ」に着目してみたい。突然の夕立で奥さんが洗濯物を取り込もうと必死になっていたら、旦那も直ぐに気づいて一緒に取り込もうとするはずだが、立ち尽くしているとはどういうことだろう。前回この部分は絶大な人気を得ていた状況に対して、自分の人気も直ぐに下火になり周囲はこうしろあうしろといろいろ言うだろうけど俺はただ立ち尽くしているだけなんだろうということかと書いた。男は陽水本人に対して、女はファンの人達ではないかと。
話は少し飛ぶが、この曲と同じアルバムに収録されている「二色の独楽」について、「女はさみしい 男は悲しい さみしい 悲しい独楽がある」「あの娘は ひとり ひとりで泣いた 小さく ひよわな 独楽がある」「きれいだよとても 生きてるんだね はかない はかない 独楽がある」といったフレーズは、何を言いたいのかが響いてこないと以前書いたが、同じように想定すれば、どうだろう。コンサートではさみしい人達に悲しい歌ばかりを歌っている。さみしい女は泣いてばかり。そんな人達を前にして細々でもいいから歌い続けられたらと。大スターになりたいというような大志の匂いは全く感じられないのは、そんな姿に魅力を感じられないからであろう。また今の人気もはかないものではないかとも思っているのかもしれない。しかしたとえそうなったとしても悲観しているようには感じられないとも書いた。力強いメロディーと歌い方がそんな心理を現している。
それでは話を戻して、そこまで来ている「夕立」とは何のことであろうか。その後に待っていた衝撃的な出来事と言えば、1976年の離婚に続く大麻による逮捕であろう。陽水ファンにとっては人生における3つ目の坂であるまさかの出来事である。良くも悪くも、その後の作詞家活動に多大な影響を与えたのはこれ迄何度も述べてきたように間違いない。将来起こるであろう出来事をあたかも預言しているような歌詞になっているところが面白い楽曲である。