今日は「たいくつ」について考えてみたい。1972/12アルバム「陽水Ⅱセンチメンタル」に収録されている。 陽水の日常の一端が現れていて面白い。爪はこまめに切るタイプではなさそうだ。話しは逸れるが日常的に行っていることで、なんのために繰返しているのか改めて考えてみると分からないことがある。例えば風呂で体を洗うのはどうだろう。特に毎日石鹸でごしごし洗う必要があるのだろうか。加齢臭とか言われると洗わざるを得ないのであるが、そんなに効果があるとも思えない。石鹸など使わずお湯をかけるだけなら風呂もそんなに億劫にならないのだが。またコーヒーは砂糖を入れて飲むタイプのようだ。しかし砂糖を入れようとしてそのまま忘れることがあるようなので、そんなにこだわりはなさそう。
「つめがのびている 親指が特に のばしたい気もする どこまでも長く」。爪を切るのは、のばしすぎると危ないからだろう。でも女性の長い付け爪をよく見かけるので陽水も爪は切るものだということに疑問を持っているようだ。「アリが死んでいる 角砂糖のそばで 笑いたい気もする あたりまえすぎて」。アリは生きるために角砂糖を食べようとしているにもかかわらず、何故その傍で死んでいるのであろうか。食べる前に息絶えたとは思えないので、食べ過ぎたのであろうか。陽水も同じことを思ったのなら、笑いたい気持ちにもなるのかもしれない。
「手紙が僕にくる 読みづらい文字で 帰りたい気もする ふるさとは遠い」。手紙は母からであろうか。何故読みづらい文字となっているのだろう。読みながら目頭が熱くでもなっているのか。母からの手紙については、「青い闇の警告」でも語られていて、その時は「しっかりしなさい」というような叱咤激励の内容だったのかもしれない。母からの手紙は、陽水にとって特に印象に残っている出来事のようだ。1972/6に父親が亡くなっているので、「たいくつ」の発表時は田舎に残してきた母が気がかりだったのかもしれない。しかし再デビューという一大決心をして東京に出てきたからには、簡単には田舎に帰れないという心境が垣間見られる。
また「たいくつ」という言葉はすることがなにもないという負のイメージがあるが、陽水にとっては故郷に思いを巡らせる大事な時間なのかもしれない。