今日は「フェミニスト」について考えてみたい。1979/9アルバム「スニーカーダンサー」に収録されている。フェミニストという言葉は最近あまり耳にしないので、この曲が生まれた頃を調べてみると、1950年代からアメリカでフェミニズムの機運が高まり1970年代にかけて特に性別によって決められた身なりや家庭での役割といった、身近な事柄が男女平等であるべきだという考え方のようだ。もう少し平たく女性から男性を見た場合、飛躍しているかもしれないが「フェミニストとは家事や育児を自ら進んで行うやさしい男性である」ということなのではないだろうか。
「やさしさ」について、陽水は初期のコンサートで次のように述べていたのを記憶している。「やさしい」って僕にとってはよくわからないことなのだがと前置きしながら、女性に「どんな男性が好きか」とアンケートをしたら、90%くらいの女性が「やさしい男性」と答えていたことに触れ、「優しいって、いいに決まってるのになぜ100%じゃないんだろう」と。男性にやさしさを求めていない女性が少なからずいるらしいと語っていた。そんな少数派の女性の心理を表現した曲なのだろう。「男子、厨房に入らず」を理想のタイプと思う女性である。男は男らしく、女は女らしく、でいいじゃないかと。
「私、嫌いな男のタイプはフェミニストです」。フェミニストなんて、への河童じゃない。「いつも言葉を探している様な」。男は黙ってサッポロビールでしょう。「私の夢はどこまで続く?」。そんな男、どこにいるのかしら。「私は元気、あなたはいかが?」。そんな理想の男性はまだ見付かっていないけど私は元気よ。ちょっと乱暴な言葉使いになってしまったが、「私のそばを廻っているのはフェミニストです」、「ピアニスト、エベレスト、エメラルド」とは、私の廻りはフェミニストばかりだけど、フェミニストなんて、興味ないわと言いたいのではないだろうか。