今日は「ジェニー My love」について考察してみたい。1979/9 リリースのアルバム「スニーカーダンサー」に収録されている。女性との別れのシーンが描かれているのであるが、演歌や歌謡曲で頻繁に登場するベタなテーマを何故あえて取り上げているのであろうかという疑問である。そこであまり根拠がないのであるが、今回は私事も含めて大胆な推測をしてみたい。
先日の3連休に腐れ縁でつながっている3人で久しぶりに千葉の鴨川に泊りがけで飲みに行ったのであるが、馴染みの宿のおばちゃんも元気で上手い刺身やウナギをたらふく食って飲んだ後に二次会ということで、「ナイトスポットジュリ」に出かたのである。おねえちゃんの要求に答えようと無理して「勝手にしやがれ」を数年ぶりに歌いまだ行けるなと少し満足して、火曜から5か月振りにプータローから卒業して労働しているマンション管理員で汗を流し1週間が過ぎた休日に、「ジェニー My love」と「勝手にしやがれ」をなんとか結び付けられないかと思ったわけである。
1977/5リリースの「勝手にしやがれ」は、ジュリーの代表曲で、翌1979年にデビューしたサザンオールスターズの「勝手にシンドバット」のタイトルにも使われている程である。もうお気付きであろうが「ジェニー」と「ジュリー」がとても似ているなという点である。後の1982/12に「MIS CAST」という全曲陽水が作詞作曲したアルバムをジュリーがリリースすることになることからも、陽水はジュリーに注目していたのは明白である。
結論を言おう。ジュリーの「勝手にしやがれ」は「俺ならこんなふうになるな」という視点で作ったのが「ジェニー My love」ではないだろうか。「MIS CAST」について10曲程がすぐ出来上がったことに触れ、「いやぁ、今日もモテてモテてという詩が書けるから」と答えている。別れて出て行こうとする女に「勝手にしろ」と言えるジュリーに対して、雨に打たれて自ら去っていく男が陽水なのではないだろうか。ちなみにナイトスポットジュリも名前に引かれてのこのこ行ったわけである。