今日は「積み荷のない船」について考えてみたい。1998/2シングル盤「TEENAGER]B面の曲であり、また作家の沢木耕太郎さんの紀行小説「深夜特急」をドラマ化('96~'98)するにあたり主題歌として沢木さんが陽水に依頼した曲でもある。私自身は旅行することがあまりないので、いわゆるバックパッカーの心境が想像できないのであるが、田舎が函館なので函館駅などで良く見かけた記憶がある。またTVでは、猿岩石が『進め!電波少年』のヒッチハイク企画で有名になったことでバックパッカーが広く知られるようになったのではないだろうか。それにしても陽水は船旅に憧れがあるようだ。初期の楽曲でも「白い船」や「つめたい部屋の世界地図」である。それは前にも書いたが、陽水が生まれた福岡県筑豊の川の水が石炭を洗うことで真っ黒だったのに対して、親父さんの生まれた高知県の川や海があまりにもきれいだったことで海へのあこがれがあることに由来するようだ。
「積み荷もなく行くあの船は 海に沈む途中」。積み荷がないとは、行き先が決まっていないということだろう。また、海に沈む途中とは、連絡が途絶えるということだろうから、予定を立てることもなく、また今どこにいるかを連絡することもない状態で心の赴くままに旅している旅人をイメージしているのだろう。「港に住む人々に 深い夜を想わせて」。一方で、恋人や家族はどこにいるのか、どうしているのか、いつ帰って来るのかと思いを巡らせているのだと。
「間に合えば 夏の夜の最後に 遅れたら 昨日までの想い出に」。旅に出ようとする前に会うことができれば、最後の夜をふたりで過ごすことができるが、会えなければ、それまでの思い出を胸にしまっておくしかないと。「魚の目で見る星空は 窓に丸い形」。これまでの日常での物の見方や考え方が、旅することでがらりとかわってしまい、およそ全てのことを受け入れることができるようになるようだと。あたかも思い込みや固定概念から開放されたかのように。
「旅行き交う人々が 時を楽に過ごすため サヨナラは雨の歌になるから 気をつけて 夢と夢が重なるまで」。旅人と旅人の交流についてはどうであろうか。互いに刺激しあうことで、楽しい時間を過ごすことができるようだが、別れが直ぐに訪れれば、寂しさも募るのではないだろうか。「過ぎ行く日々 そのそれぞれを なにか手紙にして 積み荷もなく行く あの船に 託す時は急がせて」。人との出会いや自身の心の整理の過程を恋人や家族に伝えたいと思ったら、心変わりしない内に手紙にしたらどうだろうか。「帰るまで 好きな歌をきかせて 会えるまで 胸と胸が重なるまで」。恋人や家族は、旅人の好きな歌を聞きながら、戻ってくるのを待ちわびているのではないだろうかと。
「私自身は旅行することがあまりないので、いわゆるバックパッカーの心境が想像できない」と最初に書いたが、陽水にしても旅好きとは思えないのであるが、どうしてこのような曲が作れるのであろうか。制作プロセスは多層に積み上げられた思考の積層プロセスを経ていることだけは想像できるが、全く不可解な人物である。