今日は「いっそセレナーデ」について考えたい。1984/10シングル盤としてリリースされている。この曲からは、遠い昔の恋心を抱いていた頃を思い出していて、今となっては夢だったのではないかと振り返っているような印象を受ける。「少年時代」では、「夏まつり」に出てくる小学校低学年頃の田舎の夏まつりの思い出が夢のようだと語っていたが、「いっそセレナーデ」では、もう少し成長した中学生の頃の思い出ではないだろうか。その頃に聞いていた曲が、今から思い返すと、むしろ「セレナーデ」と言えるのではないかと。
「あまい口づけ 遠い想い出 夢のあいだに 浮かべて 泣こうか」。陽水の歌詞ではあまり見たことがないので「泣く」ということについて調べてみたい。1981年頃のラジオインタビューでジョン・レノンの殺害事件に対してコメントを出したことに触れ、「7、8年前に親父が死んだ時に泣いたんですが、そのコメントを出した時にもうかつにも泣いてしまって」と語っている。中学生の頃に抱いていた恋心は遥か遠い思い出であり、今となっては夢ではないかという気がしていると回想している。ただしこの時点では、まだ泣こうとする原因が見当たらない。「忘れたままの 恋のささやき 今宵 ひととき 探してみようか」。今夜はそんな恋心を抱いていた頃を思い出してみたいと。
「恋のうたが 誘いながら 流れてくる そっと眠りかけたラジオからの さみしい そして 悲しい いっそ やさしい セレナーデ」。1973/7リリースのライブ盤アルバム「もどり道」のジャケットに見開きで「井上陽水 うれいの年表」というのがあり、中学生頃の記述に「ラジオアンテナに夢中になり、朝から夜まで屋根の上で、ああでもない、こうでもないとアンテナを張りめぐらす」「ビートルズをラジオで知り一日中レコードを聞く」とある。中学生の頃のそんな記憶を思い出しているのではないだろうか。ラジオから聞こえて来るさみしくて悲しいビートルズの恋のうたが、今から思えばむしろやさしいセレナーデではなかったかと。
「風の便りの とだえた訳を 誰に聞こうか それとも 泣こうか」。中学生の頃に恋心を抱いていた女性は、もう既に亡くなっていたという噂でも聞いたのではないだろうか。ここで初めて泣きたいぐらいの衝撃を受けている原因が語られている訳である。私事ではあるが「チエちゃん」でも書いたように60代になると、そんな便りを聞くことが増えるので陽水は30代ではあるが「泣こうか」と言っている心境がなるほどと思える訳である。それにしても、陽水が聞いていたさみしくて悲しいビートルズの恋のうたがどんな唄なのか、私はビートルズについては何も知らないので想像すら出来ないでいる。