今日は「カナリア」について考えてみたい。1982/12リリースのアルバム「LION&PELICAN」に収録されている。陽水が生まれたのは福岡県の筑豊炭田の町であり、カナリアと聞くと「炭鉱とカナリア」という言葉を思い出したので少し調べてみた。炭鉱では、坑道で有毒ガスが発生した際、人間よりも先にカナリアが察知して鳴き声が止むことでいち早く危険が迫っていることを検知していたらしい。またこの楽曲で特徴的なのは「カナリア」という言葉を何度も何度も繰り返しリフレインしていることである。このリフレインは「カナリアよ。どうか教えておくれ。頼むから、どうか教えておくれ。」と言っているのではないだろうか。
「人々の愛を受ける為に飼われて 鳴き声と羽根の色でそれに応える」。「人々の愛を受ける」とは、人々から愛されるという意味ではなく、人々が抱いている愛情を感じ取ってくれるという意味ではないだろうか。カナリアは人々の抱いている愛情を感じ取って鳴き声と羽根の色でそれを表現してくれるということだろう。「盗賊は夜を祝い君にうたわせ」。前夜祭ということなのだろう。盗賊は明日の仕事が首尾よく行くような鳴き声をカナリアに強要しているようだ。「プリンセスからのながい恋文を待つ」。恋文がどうか来ておくれとカナリアに願いを込めているのであろう。
「いちばん夢を見てた人のことを教えて いちばん恋をしてた人のことを教えて いちばん大好きな人の名前うちあけて」。このフレーズは、人々それぞれが自分自身に対して抱いている感情の相手が誰かを知りたいということだろう。自分に対して夢を見ていた人は誰か教えておくれと。また自分に対して恋をしていた人は誰か教えておくれと。更に自分を大好きな人は誰なのか打ち明けておくれと。「少年は春を呼びに君をつれだし」。少年は春がもうすぐやってくるのかどうか君から聞き出そうとしているし、「老人はもの想いへ君を誘なう」。老人は、何かを思い出そうとして、君を誘い出そうとしているよと。
「鳥籠はいまも部屋の隅に飾られ 入口の鍵の場所は誰も知らない」。これまでにそんなふうにみんなが君からさまざまなことを聞き出してきたが、今となってはもうこれ以上聞きたいことも尽きてしまい、鳥籠だけが残されているだけであると。利用するだけ利用して、用済みになれば誰も振り返らないということか。カナリアが人間のエゴや身勝手による犠牲の象徴として描かれており、悲しいメロディーと共にいかにも陽水の楽曲である。