今日は「Make-up Shadow」について考えてみたいと思う。最初に私事ではあるが、先月末に富山から横須賀に戻ってきて、赤ん坊を連れて帰省している娘の子育てに上さんと共に奮闘する毎日である。また、私にだけは強きなトイ・プードルのカーロと私のベットに喉を鳴らしながら毎晩就寝しているマンチカンのルイもそれを見守っているので、とても賑やかな日々である。それはさておき、
この曲は1993/7 シングル盤としてリリースされている。少女が化粧に興味を持ち親の目を盗んで口紅を塗って、その後にアイシャドウで眉を描こうとしているようだ。この少女は誰をモデルにしているのであろうか。「初めての口紅の唇の色に」、「恥じらいを気づかせる大人びた世界」。女の子が少女から大人の女性に変わっていく様子については、1973年の「いつのまにか少女は」では、少女の時は輝いていて、それが過ぎれば悲しい存在というのは、何か実体のない一般論のような言い方ではないだろうかと書いたが、同時に変わっていく具体的な様子が描かれていなかったと思われたが、この曲では口紅を塗ることで、その扉を開いていくと表現されている。しかも、その行為は、恥じらいを持って行われると。
「あけすけにのぞき込む星達と月に」。その行為は、どうも真夜中に行われているということは、やってはいけないと思いつつ、昼間の内に母親の寝室の化粧箱から口紅とアイシャドウを持ち出していたのであろう。「物憂げなまなざしの誘惑のリズム」。大人の女性に変わろうとする誘惑が罪悪感を凌駕しているようだ。これまでの陽水には見られなかった視点であり、男にはなかなか理解できない女性特有の側面である。「あこがれは 鮮やかなランブリングサマーシャドウに 夢みているだけ 笑って」。ランプリングとは、イギリスの女優であるシャーロット・ランプリングのことではないだろうか。女優として演じている映画を通して女性としての生きざまに魅力を感じているようだ。
「映画の夢 それはパラダイス ハリウッド 誰かにバッタリ 恋がめばえたり」。少女は、アイシャドウを塗ることで女優になることを夢見ているのかもしれないと。「なにかが今日はリアルでシュールな 青いシャドウに 二匹の豹のサファイヤルビーの あの口づけ 秘め事に」。それは何か実現しそうな、また現実離れしたようなことではないだろうかと。「夢見ているだけのまなざしの奥に あやしげな色あいを忍ばせる世界」。少女は、夢見ているだけではなく、大人の女性に変わっていくことで、それを実現しようとしているようだと。「愛し合い見つめ合う思惑と謎が 音もなく混ざり合う永遠のリズム」、「瞳の魅力のようなミクロ微粒子の 淡いシャドウに」。大人の女性に変わっていく過程が、恋愛を通して加速され、それと同時にアイシャドウも魅惑的な陰影を放っていくのだろうと想像しているようだ。
いつも身近にいて子供だと思っていた女の子が、親の目を盗んで化粧をすることで大人の女性に変わって行く様子が描かれているが、この女の子は娘の依布サラサさんではないだろうか。1993/7はサラサさん9歳の時である。