今日は、「結詞」について考えてみたい。1976/3リリースのアルバム「招待状のないショー」に収録されている。「結詞」から受けるイメージが、締めくくりに相応しいと思ったからである。前回書いたように、定期的な発信は今日で最後にしたいと思う。
曲全体の構成から想像してみたい。前半が現在から将来のこと、また後半が過ぎ去った過去の思い出となっているのではないだろうか。50才目前のインタビ ーで、「これから何が有るかっていうのもありますけど、これまで何があったかという事柄が圧倒的に多くなった年代に入ってきたことで、過去を振り返るのがうれしい年代」という趣旨の発言をしているが、この曲を書いたのが27才であるので、若い頃から既に過去を振り返っていたことになる。
「浅き夢」。夢という言葉は、よく使われるのであるが、この曲では達成したい目標ということだろうが、そんな大げさなものはないよと既に思っていたようだ。「淡き恋」。情熱的な恋も、もうないだろうと想像しているようだが、実際は後に石川セリさんと情熱的な恋愛の末に結婚しているので、石川セリさんは陽水にとって特別な存在なのだろう。「遠き道 青き空」。青は寂寥のイメージがあり、1976/2に離婚が成立したこともあり、これから先、独りぼっちなのだろうと思っているということか。「今日をかけめぐるも 立ち止るも 青き青き空の下の出来事」。今後はこれまでと同じように忙しいこともあるだろうし、悩んで前に進めないこともあるだろうと。
「迷い雲 白き夏 ひとり旅 永き冬」。翻って過去を振り返れば、曲作りに悩み迷っていたこともあり、これと言った思い出もない夏もあったと。またずっと独りだった様にも、冬の季節が続いていたようにも感じていると。「春を想い出すも 忘れるも 遠き遠き道の途中での事」。そんな過去の記憶であっても、長い道のりのほんの一瞬の出来事でしかないよと。陽水の思いを、無理やり言葉で表すと、そんな感じになるのかなと思うが、締めくくりの日を迎えても、もっと別の事、言いたいのではないかと思いはじめている。
最後に私事であるが、先月末に娘が男の子を出産し帰省しており、妻と3人で子育て奮闘中であるが、赤ん坊をあやしながら、泣き声の大きさと踏ん張る足の強さに驚き、また1才になる長男の男の子のワルガキ動画を見ながら、命の繋がりの不思議を思いつつ、穏やかな余生を送れそうな予感を感じているところである。また同時に、「子供への唄」と「限りない欲望」が頭をよぎったところでもある。